連載
ごめん。
第十一話 十四と四十 加藤 元 Gen Kato

「すみませんでした」
 男の子を引き寄せながら、ようやく父親が頭を下げる。慎次は頷いてみせるしかなかった。
 真衣も、この年齢のころははしゃぐと制御ができなかった。走りまわって他人にぶつかったりもした。
 子供のしたことだ。仕方がない。
 しかし、痛い。
 晟一も恭介も、口を半開きにして慎次の様子を窺っている。咲枝の唇が、大丈夫なの、と動く。
 大丈夫じゃない。痛い。泣きたい。
 慎次は片手を上げて応じてみせてから、よれよれと化粧室に向かった。
 涙は我慢できる。

 ――男の子でしょう、泣くんじゃないの。

 化粧室に入り、洗面台に両手をついて、溜息をつく。ぶつかった跡はかなりの痣(あざ)になるだろう。背後から泣き声が追って来た。
「ごめんなさい」
 あの男の子の声だ。
 いいや、違う。どこか、聞き覚えがあるような、泣き声。
 顔を上げる。鏡に自分の顔が映っている。四十歳を越えた、すでに若くはない男の顔。みっともないほど歪んだ顔。泣きそうな顔。
 昨夜の泣き声。あれは、俺の声だったのかもしれない。
 泣いていたのは、俺だったんじゃないのか?

 ――大人じゃなきゃ、何なの?

 ずっと。
 ずっと長いあいだ、胸の奥で、慎次は叫んでいた。泣き叫び続けていたのだ。
 いつからだろう。母親が死んだ日からだろうか。あの日に咽喉でこらえた涙は、深く沈んで流れ続けていた。
 お母さん、ごめんなさい。
 ごめんなさい、ぼくが悪いんです。期待にはなにも応えられなかった。親孝行らしいことはなにもしなかった。お母さんが失望していたのはわかっている。情けない息子だった。お母さんが死ぬ前の晩だって、体調の変化に気づかなかった。馬鹿なおしゃべりしかしなかった。
 ごめんなさい。お母さん。
 子供のころは、信じていた。今はなにもできない、格好の悪い自分だけど、大人になれば変われる。知識が豊富で、力強く、自信に満ちた大人になる。胸を張って生きていける。恭介と同じくらいの年齢のころは、心から願っていたんだ。



 
〈プロフィール〉
加藤元(かとう・げん)
1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『日蔭旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。
Back number
第十三話 しゃぼん玉(最終回)
第十二話 ハッピーエンド
第十一話 十四と四十
第十話 小言幸兵衛
第九話 うさぎが転んだ
第八話 ごめんじゃすまない
第七話 ナニサマ
第六話 電話家族
第五話 かすがい
第四話 悪い妻で、ごめんなさい
第三話 ごめんね、ママ
第二話 いつだって俺から、ごめん
第一話 ふつうじゃなくて、ごめん