よみもの・連載

本日はどうされました?

序章 彼女

加藤 元Gen Kato

 彼女のこと。
 はじめに言い出したのは、誰だったかしら。
 そうそう、菊村(きくむら)さんだった。
「連続不審死事件ってあるでしょう。藤井さんもあやしくない?」
 口調は冗談めかしていましたけど、眼つきはわりに真面目でした。でも、もちろん私は笑ったんです。
「ひどいこと言うね」
 って。
 菊村さんが言ったのは、K県のO病院で起きた事件のことです。そう、勤めていた看護師が、入院患者の八十代男性の点滴に殺菌消毒液ヂアミトールを混入し、中毒死させたという事件。O病院ではその時期、七月はじめから二ヵ月あまりのあいだに、五十人近い入院患者が死亡していたんですってね。それまで誰も指摘しなかったのがおかしいくらいだけれど、そんなものかもしれないとも思うんです。なにか変だと気づいても、あえて言挙げはしない。日々の仕事に紛れて、気がつかないふりをする。自分以外の誰かが言えばいいことだと受け流す。現場の人間がことなかれ主義になって来るのは、どこの病院でも、いいえ、どんな会社組織でも同じことかもしれません。
 それだけ多くの死が続いたあとで、ようやく死因に不審なものを感じたんですね。病院は警察に通報し、亡くなった患者さんは県警で司法解剖をされました。結果、体内から消毒液、界面活性剤が検出されたんです。ヂアミトールは病棟のナースステーションに常備されていたものでした。この病院にも置かれていますよ。むろん、きちんと管理はされていますけれど。
 容疑者となった看護師は、それまでにもあやしい節があったようです。ある看護師はロッカーの鍵をかけ忘れて私服を破かれたと言いますし、別の看護師は共同の冷蔵庫に入れておいたペットボトル飲料に妙な味がしたと言います。確かな証拠があるわけじゃないけれど、どうも彼女の仕業らしいと仲間うちでは囁(ささや)かれていたみたいです。
「うちにも似たようなことがあったじゃない?」
 菊村さんはそう言うんです。
「私の携帯電話がトイレの便器に棄(す)ててあったこととか、蓮沼(はすぬま)さんのネックレスがなくなったこととか」
 そうなんです。うちの病棟でも、一時期そんなおかしなできごとが立て続けに起きていたんです。O病院とまったく同じで、ぺットボトル入りのお茶に洗剤が入れられていたこともありましたっけ。けれど、犯人はけっきょくわからないままでした。
「あれ、やっていたの、ぜったい藤井(ふじい)さんだと思わない?」
「決めつけるのはよくないよ」
「でも、カンファレンスであの子がみんなから集中攻撃を受けたすぐあとじゃない。あんな真似をしそうな人間はほかに考えられない」
 菊村さんは断定しました。
 O病院の事件でも、容疑者は、患者が亡くなったとき、ミスを指摘されたことがあるのだといいます。その後、そんなトラブルがあったようです。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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