よみもの・連載

本日はどうされました?

序章 彼女

加藤 元Gen Kato

「あの事件のニュースを観ていると、ぞっとする。まるで藤井さんを見ているみたいなんだもの」
 菊村さんは、藤井さんをひどく嫌っていました。勤務で一緒になっても、ほとんど口もきかないくらいです。菊村さんだけじゃない。この病棟の看護師仲間はたいがい彼女を疎んじていました。ことさらに無視をしたり意地悪を言ったりはしなくとも、個人的な話はほとんどしないし、食事や飲みに誘うことはいっさいありません。
「二言目には、私じゃありません。私は聞いていません。責任を取りたくないのが見え見えなのよ。あの年齢で主任にもならない。なれないのは、当人にもやる気がなさ過ぎるからでしょう」
 事件の発覚から二年近く、容疑者は否認を続けていましたが、ついに自白し、逮捕されました。
「二十人くらいの入院患者に、同様な行為をした」
 容疑者は、そのように供述しているようです。消毒液は点滴の袋や管に入れ、自身の勤務時間外に死亡するよう工作していたといいます。容態の急変を見るのが厭(いや)だったのだ、というのが容疑者の言いぶんでした。
 自分のいないあいだに死んでほしかった。勤務中に患者が死ぬと、自分が家族へ説明しなければならない。それが面倒だった。
「あの動機、本当だとしたら怖すぎるね」
 菊村さんは肩をすくめました。
「わけがわからない。まったく理解できない。でも、理解不可能な言いわけなら、藤井さんもいかにも言いそうじゃない?」
 O病院で、容疑者が働いていたのは、療養病棟といわれる病棟でした。高齢で痰(たん)の吸引や胃ろう、点滴などの医療依存度が高い、進行性の病気や慢性疾患を抱えた、回復の見込みが薄い患者を専門的に診る病棟です。入院患者の多くは八十代以上の高齢者であり、意思の疎通も難しい状態にあることも少なくありません。多くは寝たきりのまま最期を迎えることになるのです。
「終末期の患者ばかりって状況は、きついよね。元気になって退院するってことがないんだもの」
 みな、出ていくときは生きていない。亡骸(なきがら)となって帰って行く。言い方は悪いけれど、死ぬために入院するようなものです。
「うちでも同じよ」
 菊村さんが言いました。
「高齢の患者に急変が出ることはめずらしくなかった。ことに藤井さんが夜勤明けのときはね」
 私は、そう言われてみればそうかもねと、受け流しました。
「彼女の申し送り、あのとおりだからね。前兆がないはずはないけれど、あったって私たちには肝心なところが伝わらない」
 菊村さんは吐き棄てます。藤井さん、口下手といいますか、とにかく的確な伝言はできないひとでした。自分だけわかっていても、なぜか周囲には伝えない。私たち仲間は、ずいぶん困らされたものです。
「O病院の事件は、どうなるのかしらね」
 私は話をそれとなくそらしました。
「本人の証言次第じゃないの。火葬になる前に解剖できたの、ひとりかふたりなんでしょう?」
 しょうがない。日本は火葬ですから、証拠はすべて灰になってしまっています。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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