よみもの・連載

本日はどうされました?

第一章 植松佑喜子(うえまつゆきこ)の話

加藤 元Gen Kato

     一

 あれは、去年の七月のことでした。
 何日かは思い出せませんが、勤め先で百円均一の特売があった曜日でしたから、火曜日です。午後一時半を過ぎたころ、私の携帯電話に着信がありました。
 この時間、私は働いています。なので、そのときは出られなかったんです。電話は、足もとの棚に置いた帆布製の小さな手提げバッグの中に入れてありました。着信音は鳴らないようにしていましたが、電源は切っていません。
 電話がぶるぶると振動したのには、すぐ気がつきました。それも、かなり長い。メッセージやメールじゃない。内心、首を傾げました。
 誰からだろう。火曜日の午後一時半。私が仕事中なのは、家族なら知っているはずなのに。
 言い忘れましたが、私の仕事は、スーパーマーケットのレジ係です。着信があってから十五分くらい経ったところで、お客さんが途切れたので、バッグから電話を取り出してみました。
 母の携帯電話からの着信でした。
 何なのよ、こんな時間に。
 最初に感じたのは、苛立(いらだ)ちでした。そう、母なら、こちらが仕事中だろうが旅行中だろうが、気にせず電話をかけてよこすでしょう。こちらの都合も状況も、いつだってお構いなし。そういうひとなんです。
 抛(ほう)っておこう。
 電話をバッグに荒っぽく突っ込みかけて、不意に不安になりました。
 留守番電話にメッセージが入っている。変だ。
 普段なら、こんなことはあり得ない。こちらが応答しないで、留守番電話サービスに切り替わったら、舌打ちをしてぶちっと通話を切る。それでおしまい。そう、母ならそうするはずなのに、このときはメッセージが入っていた。
 変だ。おかしい。
 母は七十七歳でした。父の死後、五年ほどひとり暮らしをしています。元気は元気だけれど、まったくの健康体ではありません。糖尿病を患っているのです。
 なにかあったのかしら。
 胸がざわつく感じがしました。それでレジを抜け出しトイレに駆け込んで、メッセージを再生してみたんです。
「もしもし」
 悪い予感は当たった。私は電話を強く握りしめていました。
「柳沢(やなぎさわ)はる子さんの娘さんですか」
 留守電に入っていたのは、知らない男性の声でした。
「柳沢さんが救急車で病院に搬送されました。至急連絡をください」
 眼の前が暗くなるような感覚。
 おかあさんが、倒れた。
 こんな日が、ついに来たんだ。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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