よみもの・連載

本日はどうされました?

第一章 植松佑喜子(うえまつゆきこ)の話

加藤 元Gen Kato

 よくある話です。母は娘の私より、長男である慎一、兄ばかり可愛がっていました。
「とにかく、男の子を産んだんだもの。柳沢家の嫁としての役目は果たしたわけよ」
 ある年のお正月、母が叔母に向かって言い放ったのを聞いたことがあります。
「娘はおまけみたいなものよ」
 四十年も前、昭和の時代は、まだそんな価値観が幅をきかせていたんですね。理解はできますが、胸の奥に深く刺さったその言葉が、母と言い争うたびにうずいてしまうのは確かです。
 どうせ、おかあさんにとって、私はおまけなんだもの。
 時間は流れ、兄も私も成長し、やがて結婚して家を出ました。今や、柳沢家の大事な長男である兄は名古屋に住んでいて、お正月以外は実家に顔を出さなくなりました。兄の奥さんが名古屋出身の女性で、彼女の希望でそちらで働いて家を買ったんです。母はずいぶん反対したのですが、兄の意思は変えられませんでした。当然、兄の奥さんと母は犬猿の仲です。お正月も、ここ十年ほどはなにかと理由をつけて奥さんはこちらへは同行しません。兄夫婦には娘が二人いるのですが、彼女たちも受験だの部活だのと言って、この年はやって来ませんでした。実際のところ、母親の影響を受けて、母親と不仲のおばあちゃんには会いたくないんじゃないでしょうか。
 もっとも、母はお気に入りの息子さえ帰って来てくれれば、それでいいみたいです。兄に対しては、上げ膳据え膳。かしずくようにもてなして、兄がなにを言っても、にこにこはいはい、素直に耳を傾けている。
 私に対する態度とは、大違いです。
 躰を気遣って口にした言葉さえ、うるさそうに聞き流すんですからね。

 帰りがけ、ナースステーションを覗(のぞ)いて、そこにいた看護師さんに挨拶をしました。
「四〇七号室の柳沢はる子の娘です。今日からお世話になります」
 頭を下げると、明るい声が返ってきました。
「すぐにベッドが取れてよかったですね」
 視線の先に、にこやかな看護師さんの姿がありました。長い髪を後ろでひっつめた、化粧っ気の薄い女性です。まだ三十歳前に見えます。
「熱中症で倒れるひと、多いんですか」
 私が訊(き)くと、看護師さんは眉を少し寄せました。
「この暑さで、体調を悪くされるお年寄りは少なくないですよ。柳沢さんのお隣りのベッドの梅田(うめだ)さんも、三日ほど前に入院されたんです」
 そうか、うちのおかあさんだけじゃないのか。
「はやくよくなられるといいですね」
 看護師さんは、そう言って見送ってくれました。
 感じのいいひとだな、と思いました。
 この病院なら、おかあさんも安心だ。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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