よみもの・連載

本日はどうされました?

第一章 植松佑喜子(うえまつゆきこ)の話

加藤 元Gen Kato

     二

 私は毎日、仕事の帰りに、母の病室を見舞いました。そうせざるを得ない気持ちでした。
 一週間くらいの入院。はじめはそう言われたのですが、母はすぐには退院できませんでした。
 母は、糖尿病性腎症と診断されました。糖尿病を患っていることは、前々から知っていました。教育入院をし、薬も出してもらって、小康を保っていると思っていたのですが、症状はだいぶ進行していたようです。
 もうしばらく入院しながら透析を受けて、よくなれば通院しながらの透析治療に切り替える。お医者さんからはそのように言われました。いささか衝撃ではありました。母の病気が進んでいたことに、私はまるで気づかなかったのです。
 いいえ、気づこうとしなかったのかもしれません。
 母のことを伝えても、兄からの返事は素っ気ないものでした。
 俺は行けない。おまえに任せる。
 まるで電報みたいな回答。まあ、兄には兄の家庭があるし、そちらを大事にするのは当たり前のことですものね。
 仕方がない。私がやるしかないんだ。
 ひとつには、そんな意地のような気持ち。もうひとつは、罪悪感もあったのです。

 ふだん、母に会いに行くのは、月に一度くらいでした。
 午前九時から午後三時まで、週四回。ひとり息子の博己(ひろき)が中学生になったころから働きはじめて、もう十年近くになるでしょう。お店ではかなりの古顔になりました。パートタイマーとはいえ、仕事をしている身で、なかなか時間が取れなかった。というのは、言いわけです。
 博己は大学を卒業して鉄道会社に就職したばかり。区役所勤めの夫も息子も、勤務先からの帰りはいつも夜の八時か九時ごろです。外で食事をしたりお酒を飲みに行ったりもして、家では夕食を食べない日もあります。そういうことも、今にはじまったことではないんです。まだ息子が大学生の時分から、家族そろって夕食のテーブルを囲むのなんて、週に一回か二回しかありませんでした。仕事帰りに、母親の顔を見に行く時間を作れないわけではなかったんです。
 なのに、私は母に会いには行きませんでした。
 年々、母親が老いていくのは、わかっていました。わかっていながら、まだまだ元気だ、大丈夫だと、自分に言い聞かせて、見ないふり、気づかないふりをしていたんです。
 母が倒れた日、その話をすると、夫は言いました。
「俺や博己のことはいいから、おかあさんの世話を優先するといいよ」
 そんな風に言いながら、食事を作るとか洗濯機をまわすとか、率先して家事を手伝ってくれるひとでもないんですが、その言葉はありがたく感じました。

 母の病室は、廊下の隅にある二人部屋でした。建物の構造上、狭い造りになっているので、入院費用は六人部屋と同じ。ちょっと得をしたような気分です。
 同室の患者は梅田さん。母よりは若い、七十歳そこそこの小柄な女性です。病院へ通ううち、梅田さんとはよく話をするようになりました。
「この病院は、あんまり質がよくないよねえ」
 その話をしているとき、母はその場にはいませんでした。トイレに行っていたのか、透析を受けに行っていたのか、検査だったのか、それは覚えていません。
「そうでしょうか。看護師さんはいい方たちみたいじゃないですか」
「いい方?」
 梅田さんは意味ありげに笑いました。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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