よみもの・連載

本日はどうされました?

第一章 植松佑喜子(うえまつゆきこ)の話

加藤 元Gen Kato

     三

 入院して、一週間ほど経ったころでしょうか。
「帰りたい」
 不意に、母が言い出したのです。
「気持ちはわかるけど、もうしばらく辛抱してよ」
 お医者さんから退院の許可が下りない以上、私はなだめるしかありません。
「いつになったら退院できるの。通院じゃ駄目なの?」
 母は駄々っ子のような口調でした。
「先生がいいと言うまではね」
「うちにいた方がよくなる。このままここにいたら死んじゃうよ」
 なにを言っているの。笑い飛ばそうとしましたが、母の眼つきは真剣でした。
「怖い」
 母は声をひそめました。
「怖いって、なにがよ」
「看護師さんが怖い」
「みなさん、親切じゃないの」
 ついさっきも、廊下ですれ違いざま、看護師さんに挨拶をしたばかりです。気持ちのいい笑顔でした。最初に会ったひと、だったと思います。少なくとも疲れた雰囲気はありませんでした。
「親切な看護師さんもいるよ。でも、そういうひとばかりじゃない」
「そんなことを言っても仕方がないでしょう。看護師さんだって人間なんだから、おかあさんと合うひともいるし、合わないひとだっているでしょうよ」
「合う、合わないの問題じゃない」
 母は声を荒らげました。
「怖いんだ」
 隣りのベッドから、カーテン越しに激しく咳き込む声が聞こえてきました。梅田さんが眠っているのです。
 ははあ、と思いました。
 おかあさん、梅田さんから、なにか聞いたんだな。
「看護師さん、おかあさんが怖がるようなこと、なにかするの?」
 訊くと、母は身震いをして、私に囁くのです。
「夜中にね、あたしの顔をじっと見下ろして、呼吸を窺っているんだ」
 なあんだ。
 私は吹き出しました。
「おかあさんの様子を見てくれているのよ。苦しそうじゃないか、容態に変化はないか。それが彼女たちのお仕事だもの」
 仕事熱心なのを怖がられては、看護師さんも立つ瀬がありません。
「違うよ」
 母ははじき返すように否定しました。
「そんなんじゃない。あれは、仕事で見ているんじゃない。まがまがしい気持ちなんだ。あたしにはわかる」
 おかあさん、それは被害妄想というものよ。
 私が言いかけるのに押しかぶせて、母は叫ぶように言いました。
「殺される前に、はやくここから出して」
 梅田さんの寝息が止まりました。眼を覚ましてしまったのでしょう。
「出してよ」
 私は唖然(あぜん)としました。
 おかあさん、尋常じゃない。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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