よみもの・連載

本日はどうされました?

第一章 植松佑喜子(うえまつゆきこ)の話

加藤 元Gen Kato

「今日、お仕事はお休みなんですか?」
 あの、いちばん感じのいい、母の妄想話を聞いてくれたひとではありません。ちょっと疲れた風に見えたひとです。
「夜勤明けで、ちょうど帰るところなんです」
 小花模様の半袖ブラウスにジーンズ。私服だから見違えてしまったのです。白衣のときよりずっと若く見えました。
 まだ三十歳くらいでしょうか。もっと若い?
「ひと晩じゅうお仕事だったんですか。お疲れさまでした。大変ですね」
「慣れました」
 彼女はにこにこと答えます。
「お肌は荒れちゃいますけどね」
 私は彼女の顔を見ました。荒れてなどいない、つるりとしたきれいなお肌です。夜どおし仕事をしていたとはとても思えません。眼の下には隈(くま)もありませんでした。
「昨夜は台風でばたばたしちゃって、ろくに仮眠も取れなかったんです。これから帰って、ゆっくり寝ます」
 彼女はお弁当とペットボトル飲料、袋入りのスナック菓子を買っていました。帰ってから料理をする気はないようです。それもそうだろうな。いかに元気に見えても、部屋に帰ったらひたすら休みたいに決まっている。
 結婚はしているのだろうか。子供はいるのだろうか。いや、いたらお弁当にお菓子はあるまい。子供が幼いあいだは、夜勤は難しいだろうな。
 訊いてみたい気もしましたが、こんな場所で、そんな立ち入った質問をするわけにはいきませんでした。死んだ母や梅田さんあたりなら、こうした質問をずけずけとするのはお手のものでしょうけれど。
 あんた、彼氏はいるの? 結婚はまだ?
「ありがとうございます」
 商品をすべて計上し終えたところで、私は頭を下げました。
「母のこと、本当にお世話をおかけしました。わがままばかり申し上げて、手がかかったでしょう」
「いいえ」
 彼女はくくっと咽喉(のど)を鳴らしてみせました。
「柳沢さんは、とても可愛かったですよ」
 私は耳を疑いました。
 可愛かった?
「失礼します」
 彼女はかごを抱えて、レジの前から去っていきました。
 私は、彼女があんな風に笑うような、おかしなことを言っただろうか?
 可愛かった、って?

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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