よみもの・連載

本日はどうされました?

第二章 梅田登季子(うめだときこ)の話

加藤 元Gen Kato

     一

 あなた、E病院の話が訊きたいんですって?
 はい、啓太郎(けいたろう)から、息子から聞いていますよ。週刊誌のお仕事をしているんですってね。あの子とは、高校のころの同級生だとか。
 あたしは、現在はもう、あの病院へは通院していないのよ。それは啓太郎に聞いています?
 ええ、確かに以前はE病院に入院して治療を受けていたんだけれどね。退院してから、愛想のないじいさん医者と、もっと愛想のないおばさん看護師が三人いる小さな診療所に替えたの。入口脇の壁にガラスブロックが使ってある、いかにも昭和っぽい古い建物で、床は大理石風タイル。待合室の椅子は黒いビニールレザー張りで、あちこち破れて黄色い中綿がはみ出しちゃっている。患者はやたら声のでかいじいさんと動きがのろいばあさんばかり。十年後には患者も医者もまとめていなくなっちゃってそう。つまりまあ、そんな感じの町医者よ。
 病院を替えた理由? そうねえ、この家から近いし、待ち時間も短い。また病気をこじらせて入院するような破目にでもなれば、E病院みたいな規模の病院へかかることになるんだろうけど、今のところはひとまず落ち着いているから、薬さえ出してもらえばいいのでね。調剤薬局の薬剤師さんは愛想のいい可愛い娘さんだし。
 E病院に不満があったのかって? まあね。どう言えばいいのかしら。説明が長くなっちゃうわよ。
 え、長くなってもいい? その話が聞きたいの?

 あたしの病気は、間(かん)質性(しつせい)肺炎(はいえん)って言うの。
 しきりに咳(せき)が出る。信号が赤になりかけたからって、ちょっと走ったりしたら、ひどく息切れがする。夏風邪が長引いているのかな、と思ってE病院へ行ったら、入院することになった。そして診断されたわけ。慢性の間質性肺炎ですってね。
 原因は不明らしいけど、喫煙が症状を悪化させるのは間違いないらしいの。で、入院以来、煙草はすっぱりやめました。やめないわけにはいかなかった。若いころからずっと煙草好きで、一日にひと箱は空にしていたものなんだけれどね。
「ちょうどいい機会だったんじゃないか」
 と、息子の啓太郎(けいたろう)には言われた。
「今日び、煙草を吸える場所自体、どんどんなくなって来ているんだ。喫煙は害悪。煙は公害。みんなそう考えるようになっている。煙草なんて時代遅れだよ」
 そういえば、TVでも外国煙草の広告を見かけなくなった気がするわね。ちょっと昔は、必ず流れていたものじゃない。だいたいどこかわからない外国が舞台で、外国人の俳優が出て来て、格好つけて悪人を倒して、美女がにっこり寄り添って、みたいな。誰になにを訴えているのだかまったくわからない広告。あんなCMが流れていたころは、喫煙が悪とされる世の中になるなんて想像もしなかった。
 だけど、正直なところ、どこかの「みんな」がどう思おうが、あたしは煙草をやめたくなかったね。
 時代遅れでけっこう。誰に憚(はばか)ることもない。あたしは立派な年代物。そろそろ七十歳に手が届こうかというばあさんなんだからね。
「ひと箱の値段だって、どんどんどんどん高価(たか)くなっているだろう。もったいないよ」
 大きなお世話だよ。あたしの金だ。
 言い返したいのはやまやま。でも、こんな病気にかかってしまってはね。仕方がない。潮時だったとあきらめるしかない。
 ごめんなさい。厭(いや)な咳でしょう。こんな咳をするようになっちゃったんだから、確かに煙草は害なんだわね。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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