よみもの・連載

本日はどうされました?

第二章 梅田登季子(うめだときこ)の話

加藤 元Gen Kato

     二

 あたしは、ずいぶん苦労して、啓太郎を育てた。
 啓太郎の父親だった男とは、あの子が三歳のときに別れていた。養育費? そんなものを出してくれるような甲斐性のある男なら別れたりはしませんよ。問題は、だいたい男の正体がわかるのは、どっぷり深間になったあとだってこと。あたしの場合は結婚をして、子供を産んでからわかっちゃったわけ。
 啓太郎をおんぶして、親子三人で暮らしていたアパートを飛び出して、実家に戻った。ええ、今いるこの家にね。そのころはまだまだ元気だった母親には、いろいろ文句を言われた。反対を押しきって結婚した娘が逃げ帰って来たんだから、言いたいことは山ほどあったんでしょう。気持ちはわかるけど、おとなしく耳を傾けていたのは三日くらいだった。うちの母親だって結婚に成功したとは言えなかったんだもの。あたしの死んだ父親は大工だったんだけど、飲む打つ買うが大好きな昔風のろくでなし。仕事の腕は悪くなくて、稼ぐことは稼いで、工務店の社長になって、飲んで打って買ったわけ。母親は父親の二番目の奥さんでね。父親は家とひとり娘のあたしを置いて、三番目の奥さんのところへ行っちゃった。母娘ともに男運がなかったわけね。でもまあ、ぶつぶつ言いながらも啓太郎を見てもらえたことは助かった。お蔭で昼も夜も働くことができたからね。
 啓太郎が小学校五年生のとき、どうにか自分の店を持つことができた。喫茶店よ。と言ってもいちばんの売りはランチで、ほかの時間帯もコーヒーや紅茶より食事メニューの方がよく出る、食堂みたいな店。商店街から一本外れた裏道にあったのだけれど、そこそこ流行ってくれてね。常連さんも多かった。あたしの体調がよくないせいもあって、二年前に閉めちゃった。でも、いくらかは貯(たくわ)えも残ったしね。まあ、商売としては成功したと言えるんじゃないの。
 啓太郎も、本人が行きたいと言う学校に行かせることができた。
 あの子は、勉強ができる優等生じゃなかったし、運動神経もいいわけじゃない。親の欲目で見て、普通。ってことは、だいぶ駄目な子なんでしょうね。結果、お金がかかる二流の私立、でもまあ、いちおう大学って名前のつく学校は卒業させた。四年制のはずが、なぜか六年もかかったけどね。
 高校のころの啓太郎を知っているなら、わかるでしょう、あの子がどんな風だったか?
 片親だからって、よけいな苦労をさせたくない。引け目を感じることなく、のびのび自由に育って欲しい。
 そう思ったのが、かえっていけなかったのかねえ。
 啓太郎が高校二年生のとき、急に言い出したの。
「アルバイトがしたい」
 嬉しいようでもあり、戸惑いもあり、あたしとしては複雑な心境だった。毎日、子供じみたTVアニメにばかり夢中になって、食器洗いや洗濯物の取り込みすら手伝わない子なのに、仕事なんかできるのかなってね。いや、あたしはね、家事や手伝いをさせたかった。だけど、やるように言っても、あたしの母親、つまりあの子のおばあちゃんがいちいち邪魔をするの。何でも横から手を出してやってあげちゃう。うちの母親、男の子は家事をしなくていいって古い考えの女だった。そのことで何回も何十回も喧嘩(けんか)をしたものよ。でも、けっきょくあたしが働いているあいだ、家にいるおばあちゃんがあの子の面倒をぜんぶみちゃう。どうしたものかと頭を痛めていたわけよ。
「一時間に数百円のお金を稼ぐよりは、学生らしい生活を楽しんだらどう?」
 不安の方がいくぶん大きかったから、あたしはひとまず反対する素振りをしてみせた。そうしたら、啓太郎はこう続けた。
「小遣いくらいは自分で稼いで、かあさんに少しでも楽をさせたい」
 泣けることを言うじゃない。啓太郎が中学校三年生のとき、おばあちゃんは亡くなったから、少しはあの子にも自立心が芽生えてきたのかもしれない。
 やってみなさいよ、と許すしかなかった。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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