よみもの・連載

本日はどうされました?

第二章 梅田登季子(うめだときこ)の話

加藤 元Gen Kato

 ところが、あの子は、働きはじめたスーパーマーケットを、一週間でくびになった。この話は知っていた? 知らなかった? そうでしょうね。きまりが悪くて、友だちには事情を話せないわよね。
 そのとき、あたしが、どうしたのって訊いたら、いかにも無念そうに答えたものよ。
「親切が仇(あだ)になった」
 啓太郎は、レジ係に配属された。お年寄りのお客さんが買った品物を、袋に入れてあげた。たまごのパックとお米十キロ。それがまずかった。
「たまごを底に入れて、その上にお米を置いたら、お客さんが騒ぎ出してさ」
 あたしは絶句した。当たり前だよ。
「たまごは上からの圧力には強いんだよ。かあさん、知らないの?」
 そうかもしれないが、限度と言うものがあるでしょう。
「お米は重いだろうから、わざわざ袋に入れてあげたのにさ」
 レジでは不安だからということでしょうね。啓太郎は品出し係に移された。そして、そこでもお客さんを怒らせた。
「頭に来たのは、おれの方だよ」
 啓太郎は口を尖(とが)らせた。
「缶詰にしても、レトルトのソースにしても、クッキーの箱やポテトチップスの袋にしても、おれが担当した棚は美しかった。商品名はもちろんばっちり前を向いて、品と品のあいだには少しの隙間も歪(ゆが)みもなく、ラベルや袋の色のグラデーションも計算して並べていたんだ。ところが客のやつらと来たら、おれがせっかく棚を美しく仕上げようとしているのに、無遠慮にやって来ては手を出してがちゃがちゃと商品を出したりまた戻したりして、おれの棚を乱しやがった」
 啓太郎は聞こえよがしに舌打ちをし、ふざけるなよと悪態をついた。当然、悪いことなどなにもしていないお客さんは困惑し、店長に苦情を入れ、啓太郎は辞めさせられたという次第。
「よかれと思ったことが、ぜんぶ裏目に出ちゃった」
 啓太郎は首を傾(かし)げながら言っていた。
「運が悪かったんだな」
 違う。運じゃない。あたしは頭を抱えたくなった。原因はおまえだよ。のびのび自由に育ち過ぎた。
 アルバイトをはじめた本当の理由も、別に「かあさんに少しでも楽をさせたい」からじゃなかった。あとで聞いてあきれ返ったわ。
「おれ専用の冷蔵庫が欲しかったんだ。部屋に置きたかった」
 冷蔵庫なら台所に大きいのがあるし、今だってあんた用のコーラやコーヒー牛乳やアイスキャンデーがきっしり詰まっているでしょう。部屋に置く必要なんかないじゃない。
「あるよ。夜中に咽喉(のど)が渇いたとき、わざわざ一階に下りて台所まで行くのが厭なんだ」
 厭もなにも、ここがあんたの家なの。広過ぎて困るってわけでもない。見てのとおりの木造二階家だよ。そのくらい足を使いなさい。
 そう言ったら、啓太郎はにわかに声をひそめた。
「おばあちゃんが死んでから、真夜中は怖いんだ」
 高校二年生の息子は、深刻な顔で囁(ささや)いたものだった。
「階段を下りるのが怖い。出るんだよ」
 なにが?
「この家、悪魔が出る」

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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