よみもの・連載

本日はどうされました?

第二章 梅田登季子(うめだときこ)の話

加藤 元Gen Kato

 悪魔。
 あたしは天を仰ぎたくなった。しかも、幽霊ならまだしも、悪魔ってどういうことなの。TVアニメの影響かしら。それにしても、高校二年生で、悪魔。
「階段の下に、真っ黒な悪魔が立っていて、おれを見上げている」
 あたしの心の嘆きをよそに、啓太郎は歪んだ顔で続けた。
「見たんだ」
 幼いころ、啓太郎はよく怖い夢をみて、真夜中に泣き出してあたしを驚かせたものだった。おばけだ、おばけだ。わあわあ騒ぐのを、あやしながらなだめた。
 夢よ。ただの夢。眼が覚めたから、もう消えた。かあさんがここにいるでしょう。
 ようやくあまり泣かなくなったな、と思ったころ、今度は小学校の音楽の時間にシューベルトの『魔王』を聴かされちゃってね。おばけだと泣く代わりに魔王だ魔王だとわめくようになった。あれには困らされたわ。なにもいませんよと言えば言うほど『魔王』の歌曲の状況に似て来るんだもの。かあさんには見えないだけで魔王はいるんだ。おれは連れ去られるんだと引きつけを起こさんばかりに怯(おび)える。あたしはシューベルトを呪いましたよ。どうしてあんな子供泣かせ、かつ親泣かせな曲を作った?
 それも中学生になったらさすがになくなったと安心していたのに、実は十七歳になってもぜんぜんおさまっていなかったとはね。
「信じないだろうけど、本当なんだ」
 半泣き。泣きたいのはあたしの方だよ。
「台所に行くのが厭なら、トイレに行くのだって怖いでしょう」
「そっちは大丈夫」
 啓太郎はなぜか自信ありげに答えた。
「問題ない」
 あたしは首を傾げた。トイレは一階の階段下にあるのだから、台所より怖いでしょうに。
「どうしてトイレは平気なのよ」
「怒るから言わない」
「まさか、あんた、ベランダで用を足しちゃったりしているんじゃないでしょうね。植木鉢に引っかけたりしたら許さないよ」
 二階のベランダで、あたしはいくつか植木を育てていた。山茶花(さざんか)に沈丁花(じんちょうげ)、くちなしに木瓜(ぼけ)。毎年毎年、季節が来れば花を咲かせ葉を茂らせ、枝を伸ばして徐々に大きく育っている。可愛い植木たちに被害があったらたまらない。
「植木は心配ない」
 啓太郎は大きく頷(うなず)いてみせた。
「じょうろの中にやってるから、安心して」
 あたしは悲鳴をあげた。そのじょうろを使って植木に水をあげているんだよ。
「朝になってから中身はトイレに流してるし、じょうろもちゃんとゆすいでる」
 言いわけをする啓太郎を、あたしは思いきり張り倒した。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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