よみもの・連載

本日はどうされました?

第二章 梅田登季子(うめだときこ)の話

加藤 元Gen Kato

 おせんべい、柳沢さんの躰によくなかったのかしらねえ。まさか死んじゃうなんて思わなかった。
 あたし、おせんべいのこと、看護師さんには言わなかったのよ。こうなってしまうと、言った方がよかったかなあ、と悔やむけどね。そのときは、告げ口するみたいで厭だったの。それに、食事をあまりとらないのに、柳沢さんの頬はふっくらしていたし、顔色もつやつやしていたんだもの。間食していることくらい、彼女たちだって医者だって薄々わかっていたんじゃないの?
 けれどね、もしそのことがはっきりわかっていたとしても、彼女たちは柳沢さんにうるさく注意をしなかったかもしれない。いけませんよ、と口先で言って、それでおしまい。あとは患者の自己責任だと割りきってしまうんじゃないかな。E病院の看護師さんたちは、基本的にはそんなに親身になってくれないのよ。
 でも、あの子だけはね。親切な子。柳沢さんのこと、あの子には伝えるべきだったな。
 入院したてのころ、あたしは本当に咳がひどくてね。咳のし過ぎで胸も痛むし、呼吸するのも苦しかった。夜だって、うとうとしたかと思うと、すぐに咳込んで眼が覚める。そのうえ、あたしが寝ていたベッドには冷房の風がじかに吹きつけて来ていて、ひどく寒かった。ベッドから起き上がって、エアコンの口の向きを変えようとしたんだけど、リモコンのボタンのどこを押しても機械は冷たい風をごうごう吹き出して来るばかり。電源を切ろうとしても、切れないの。リモコンが壊れているとしか思えない。お手上げだった。それで、あたしはナースコールを鳴らした。
 どうなったと思う?
 看護師さんは、誰も来なかった。あたしは持ち込んだタオルや上着を羽織るだけ羽織って、凍えながらその夜を過ごすしかなかったっていうわけ。
 明け方、看護師さんが見まわりに来た。それがね、さっき話した、態度のよくない女だったんだけど、そのときはそんなこと知らないものね。とにかく、あたしはようやく事態を訴えることができた。それも、頭ごなしに文句をつけるんじゃない。あくまでもやんわりと言ったつもり。自分も長いこと客商売をしていたせいか、いかに言いぶんがあろうと、偉そうにがみがみ苦情を言う人間って嫌いなのでね。
「ああ、このエアコン、駄目なんですよねえ」
 彼女は椅子に乗って、じかにエアコンを操作して風向きを調節してくれた。それからあたしの顔を見て、投げ出すようにこう言った。
「これでいいんですか?」
 彼女の顔や態度から、彼女の思いがにじみ出ていた。うるさいばあさんだな。こっちは暇じゃないんだ。こんなことくらい自分でやれよ。
 ごもっともだと思う。けどね、この病室のエアコンの調子なんて、入院して来たばかりの患者にわかるはずがないとも思わない?
「このリモコンは使えないの?」
 あたしは穏やかに訊いてみた。
「壊れているみたいなんです」
 まるで他人ごとみたいに、彼女は返した。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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