よみもの・連載

本日はどうされました?

第二章 梅田登季子(うめだときこ)の話

加藤 元Gen Kato

 そのときは、転院することまでは考えなかった。
 患者と医者、看護師。人間対人間だから、うまく意思の疎通ができないこともある。それはわかっていた。あたしも店で若い子たちをさんざん使って来たし、自分にだって若い時代があったもの。
 若いころ、あたしはおじさんもおばさんも苦手だった。仕事ができなくても、年齢が上だってだけで態度が大きいし、ぞんざいな口を利くし、知らないことを知っているふりばかりするしね。
 あのころ、あたしは心に誓ったものよ。年齢をとっても、ああいうばばあにだけはなるまい。
 それが、いざこっちが年寄りになってみたら、かえってでかい態度を取られ、失礼な口を利かれたりする破目になっている。
 人生って、ままならないものね。

 E病院で会った看護師さんたち、とくにあのエアコン女は、あたしたちみたいな年寄りが苦手だったのかもしれない。嫌いじゃないまでも、見下したところがあったのは確かね。だからかな、気を遣って話しかけてくれても、かえってそれがこちらの癇(かん)に障ったりもする。
 あるとき、まだ柳沢さんが入院する前だったかな、ベッドの上で音楽を聴いていたの。むろん、イヤホーンをつけて外には音が漏れないようにしていた。あたし、小学生のころポール・アンカにのぼせて以来の音楽好きなのよ。高校生の時分はビートルズに夢中だった。彼らが来日して武道館でコンサートをしたとき、チケットを取れなくて血の涙を流した乙女のひとりなのよ。主演映画も映画館に通いつめて繰り返し観たし、お小遣いを費やして集めたレコードはいまだにうちに揃(そろ)っている。ジョン・レノンの大ファンでね。彼がオノ・ヨーコとつき合ったときは真剣に考えたものよ。
 なぜ、あたしじゃなくあの女なんだ?
 ビートルズのコピーバンドのコンサートにも行っていた。それで別れた亭主と知り合ってしまった。そう、あの男も音楽好きで、バンドを組んでいて、ギターが上手に弾けた。そして、あたしはおめおめと引っかかった。こういう流れ、昔も今も変わらないでしょう。若い子が知らないだけで、歴史は繰り返されるものなのよ。
 で、懐かしのジョンを聴いていた。大昔は焦げるほどの嫉妬が先に立って聴けなかった、プラスティック・オノ・バンド時代のジョンの曲をね。そうしたら看護師、例のエアコン女が来て、あたしにやさしく話しかけた。
「なにを聴いているんですか」
 一瞬、返事に迷った。この子は啓太郎よりも若い。プラスティック・オノ・バンドって言ってもわからないだろうな。ジョン・レノンはさすがに知っているだろうけど、さて、どう言おうかな。
「演歌ですか?」
 彼女は薄く笑っていた。
「それとも民謡?」
 あたしは返事をする気が失せた。年寄りはそういう音楽しか聴かないと決めつけているわけ。おそらく悪気はないんだろうけど、舐(な)めてかかってはいる。
「そう、懐メロ」
 それだけ言って、下を向いた。
 人間対人間、意思の疎通は簡単じゃない。本当に、人生はままならない。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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