よみもの・連載

本日はどうされました?

第二章 梅田登季子(うめだときこ)の話

加藤 元Gen Kato

 柳沢さんが亡くなった朝。
 あまりに突然だったから、あたしはいささか動揺していた。それで、啓太郎に電話をしてしまった。
 なにを喋ったかは覚えていない。でも、冷静じゃなかったのは間違いないみたい。その日の午後、啓太郎が慌てて見舞いに来たくらいだもの。
「かあさん、転院しなよ」
 あたしの顔を見るなり、切り出した。
「お隣りの方、亡くなったんだろう?」
 あたしの不安が啓太郎に伝染(うつ)ってくれたせいか、あたし自身はその時点でだいぶ落ち着きを取り戻していた。
「このあいだもちょっと話したけどさ、インターネットで、E病院に関する妙な書き込みがあるんだ。ある看護師の夜勤のあとでは、患者が急に死ぬ。そういう話なんだよ」
「まさか」
 あたしは笑おうとした。いくら何でも、そんな都市伝説めいた話は信じられない。笑い話だ。だからこそ、柳沢さんの娘さんにだって、その話をしてしまったことがあったのだもの。もちろん冗談として、だ。
 けど、その瞬間、ふっと頭をよぎったの。
 前に亡くなったばあさんのときと、今回の柳沢さん。
 夜勤の看護師さんは、誰だった? 同じひとじゃない?
「本当は、かあさんが入院した日に、この病院はよくないんじゃないかと思ったんだ」
 啓太郎の眼つきは深刻そのものだった。
「ナースステーションに行って、挨拶をしようとしたんだよ。近くまで行ったら、声が聞こえた。誰かが誰かを叱りつけている様子だった」
 なにをやっているんだよ。馬鹿野郎。気持ち悪いんだよ。
「いや、叱るというより、罵りだったな」
 おまえなんか人間以下の豚だ。死ねよ。死んじまえよ。おまえが死ねば世の中はましになる。消えろ。
「なにがあったかは知らないけど、悪いところへ来ちゃったな、と思った。その場を動けなくなっていたら、ようやっと声がしなくなって、ナースステーションから看護師さんがひとり出て来た」
 その後、啓太郎はナースステーションをこわごわ覗いてみた。そうしたら、そこには誰もいなかった。
「ひとり言だったんだ」
 啓太郎は囁くように言った。
「出て来た看護師さんの顔、悪魔みたいだったよ」
「悪魔って」
 また言うか。あんたはいったい何歳なのよ。
 笑い飛ばしたかった。けどね、できなかった。啓太郎の話を聞きながら、あたしの背筋も冷たくなって来ていたから。

 その日、夜勤だった看護師さん?
 例のエアコン女もいたわ。それは覚えている。
 彼女、名前は何だったかな。あたし、彼女たちの顔はわかるけど、名前は覚えていないの。昔は覚えるのが得意だったんだけど、情けない。このへんの記憶の衰えが、ばあさんになった証拠だわね。
 藤井さん?
 そうね、そんなような名前だったかも。まったく自信はないけど。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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