よみもの・連載

本日はどうされました?

第三章 菊村美知(きくむらみち)の話

加藤 元Gen Kato

 だから、藤井さんの担当を引き継ぐのは気が重いんです。苛立(いらだ)つうえ、面倒くさい。こちらとしては最善を尽くして聞き出したつもりでも、漏れている伝達事項がぽろぽろ出てきちゃう。仕方がないから、彼女の携帯電話にかけてみるんですが、まず出ない。ぜったいと言っていいほど、出ませんね。病院からかかって来ているのはわかっているはずだし、原因は自分にあるってこともわかっているくせに、出ない。
 なにを考えているのか、わからないというのは、そんなところです。普通の神経じゃないですよね。
 藤井さん、はっきり言って、頭がよくなかったんです。あんな脳みそで、よく看護師の資格を取れたものだと思いますよ。先生たちも、重要なことは彼女には伝えなかったんじゃないですか。だって、言っても忘れちゃうから。
 そうそう、藤井さんって、メモひとつ取ろうとしないんですよ。血圧やら脈拍やら体温やら、記録する字自体は仲間うちの誰よりも綺麗でしたけどね。あと、病棟には当番が書く日誌があるんですが、藤井さんが当番のときがいちばん読みやすく丁寧ではありました。でも、内容についてはあまり褒められたものではなかったんです。なにせ、頭の中の整理ができていないわけですから。誰もがどんな汚い字でも書きつけておく、自分のための覚え書きを取らない、取れない人間ですものね。
「ちゃんとメモは取りなよ」
 彼女に言ったことがありますけどね、私。
「はい」
 藤井さん、神妙にそう返事はしました。そして、メモはしない。
「メモを取れって、ついこの前も言ったよね?」
 念を押すと、おびえたような眼をして、頷(うなず)きはします。
「はい」
 でも、あくまでメモはしない。頑固なんですよ。頭が悪い人間って、たいがい頑固なものですね。
 私の腹が立つ気持ち、わかりません?
 ええ、そうです。私は藤井さんが嫌いでしたから、できれば話もしたくないのが本音でした。けど、伝えるべきことはきっちり伝えようとしていたんです。藤井さんにも困ったもんだ、と蔭(かげ)で肩をすくめて終わらせる。そうした対処ができない性格なんです。藤井さんが理解するしないはさて置いて、言いたいことは言っておかないと気が済まない。それに、そうしないとのちのちみんなが困る破目になるじゃありませんか。
 正義感が強い? そうなのかな。そういうことになるんですかね。
 藤井さんは、あらゆる仕事において、手際が悪く、要領もよくなかった。点滴詰めはのろい。清拭(せいしき)をさせれば、ほかの看護師の倍は時間がかかる。食事の介助をさせても、患者さんひとりにかかりきりになってしまう。いつだっていらいらさせられました。藤井さんがもたつくぶん、しわ寄せはこちらに来るんです。ほかの看護師がよけいに仕事をしなくちゃならない。
 腹が立つことに、藤井さんのそんなのろい仕事ぶりが、患者さんやご家族には喜ばれたりもするんです。
「おばあちゃんが痛くないよう、つらくないようにって、すごく気を配って躰(からだ)を綺麗にしてくださって、ありがとうございます」
 なんて、お礼を言われたりしているんです。藤井さんが不器用にのろのろ動いているのが、そのひとだけに一生懸命尽くしているように感じられるみたいですね。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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