よみもの・連載

本日はどうされました?

第四章 稲本亜須香(いなもとあすか)の話

加藤 元Gen Kato

 夏休みは、平穏だった。かおりちゃんからは暑中見舞いが届いたし、あたしも出した。両親と兄とは房総半島へ海水浴に行った。学校のプール教室にも出席をした。あたしは二十五メートルクラスの青帽。まなちゃんは来ていなかったけれど、ほかのクラスの子たちと少しお喋りができるようになれた。
 まなちゃんと顔を合わせたのは、お祭りのときくらいだった。
 あたしたちの通う小学校の裏手には、ちょっと由緒のある神社があった。そこの例大祭だ。三日にわたってお神輿(みこし)や山車(だし)が町内を練り歩き、神社の前の通りにはたくさんの露店が並んだ。おにいちゃんは友だちと出かけ、あたしは母親と父親と見物に出かけた。あんず飴(あめ)を買ってもらったとき、通りの向こう側にいるまなちゃんに気がついたのだ。
「まなちゃん」
 手を振った。まなちゃんは白地にピンクのあじさいが描かれた浴衣を着ていた。顔はこちらを向いている。が、視線をこちらに向けようとはしない。
「お友だち?」
 母親が訊(たず)ねる。あたしは頷いて、ふたたび声を張り上げた。
「まなちゃん」
 同時に、まなちゃんは顔を横に向けた。一緒にいる誰かに喋りかけたのだ。
「まなちゃああん」
 しつこく呼んだ。けど、まなちゃんはあたしの方を見ようとはしない。
「このうるささじゃ、亜須香の声は聞こえなくてもしょうがないかもな」
 父親が、慰めるように言った。ちょうど、神社にお神輿が近づいて来ていたのだ。わっしょい、わっしょい。男のひとたちの低い声と、笛の音が混ざり合って、あたりはかなり騒々しかった。
「しょうがないね」
 父親の言葉を繰り返しながら、あたしはずいぶん気を悪くしていた。まなちゃん、あんまりじゃないか。友だち甲斐(がい)がない。母親や父親に対して、面目が立たないような、恥ずかしいような気持ち。
 一緒にいたのは、背の高い女のひとだった。たぶん、まなちゃんのおかあさんなのだろう。

     *

 不愉快を引きずっていたせいだろうか。
 その夜、あたしはひさびさの悪夢にうなされた。
 学校の帰り道、怖いものがあたしを追って来る。あたしは神社の境内に隠れる。怖いものはあたしを探している。家は知られている。
 そうだ、まなちゃんの家に逃げ込もう。隠れさせてもらおう。
 大通りを突っ切り、路地を曲がって、あたしはまなちゃんの家にたどり着く。玄関の脇の呼び鈴を鳴らす。
 肩に手がかかる。
 あたしは悲鳴を上げる。
 そこで眼が覚め、飛び起きた。
 心臓がどきどきと高鳴っている。部屋は真っ暗だった。夜明けにはまだまだ遠いのだ。あたしはベッドを抜け出し、父親と母親の寝室へ逃げて行こうと思う。
 部屋のドアを開ける。

 怖いものは、そこに、いた。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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