よみもの・連載

本日はどうされました?

第五章 佐倉早織(さくらさおり)の話

加藤 元Gen Kato

     *

 同じ病棟に配属された同期の新人は五人いましたが、ひとりは一ヵ月後には辞めていきました。准看護師として実務経験を積んでから正看護師の資格を取った、同期の中ではいちばん有能なひとでしたから、仕事の面で挫折したわけではない。S病院の外科病棟、という環境そのものと合わなかったんでしょうね。
 いいや、本当のところ、環境というより、人間関係だったんじゃないかな。
「辞めるとしたら、ぜったいあなただと思った」
 藤井さん、指導者(プリセプター)の先輩から言われていました。指導者って、新人ひとりひとりにつくんです。私についた先輩も気の強いひとだったけど、藤井さんについた先輩はまた厳しい、ずけずけ遠慮なくものを言うひとでした。辞めた子についていた先輩も、いつもいらいらしていて、注意ひとつとってもいちいち棘(とげ)があるひとだったから、つらくなっちゃったんじゃないかと思うんです。
 そう、先輩、みんな怖くてきつかったんですよ。私たち新人は、みんなびくびくおどおどしながら、毎日失敗ばかりしていました。
 患者さんを問診(アナムネ)で怒らせちゃったことがあったなあ。四十歳くらいの男性で、奥さんの付き添いで入院して来たんです。明るくにぎやかなひとでした。ここはきれいな看護師さんばかりだな。おまえは早く帰れ帰れって冗談を言って奥さんを帰らせていました。そのすぐあとで私が問診に行ったんです。そうしたら、パジャマに着替えてベッドに腰をかけているそのひとの表情はまるで違っていました。ひと言でいえば、一気に病人になった感じ。奥さんの前では精いっぱい元気にふるまってはいたものの、不安だったんでしょうね。そんな年長の男性に、格好だけは看護師だけれど、まだ右も左もわからない小娘が訊くわけですよ。
「ご気分はどうですか」
 悪くはないです。
 さっきまでとは打って変わった、重く低い声でした。
「これまで、入院された経験はありますか」
 あります、と、またしてもぶっきらぼうな返事。
「何の病気でしたか」
 病気じゃない。事故で骨折したんです。
「どういった事故ですか」
 交通事故ですよ。
「ええと、どういう?」
 自転車に乗って横断歩道を渡っていたら、一時停止を無視したタクシーが突っ込んで来たんです。この質問、今の病気に関係あるんですか?
 患者さんが苛立(いらだ)って来ているのがひしひしと伝わります。こっちだってこんなどうでもいいことは訊いたってしょうがないんです。知りたいのは、患者さんの病歴。近い親族の病気。食べものにアレルギーがあるかないか。今だったら患者さんの機嫌に合わせて質問を変えていくこともできるようになりましたけど、当時はぜんぜん駄目でした。遠まわしに核心へと近づいていくつもりの質問が怒りの種になっていくのを薄々悟りながらも、同じボタンを押し続けていくしかない。
「ここに入院されて、どんな気がしますか?」
 どんな気か、だと? 馬鹿にしてるのか。
 患者さん、ここでぶち切れて、怒鳴りはじめちゃいました。その声を聞きつけた看護師長がやって来て、患者さんをなだめてその場はおさまったんです。私ですか? ただただ茫然(ぼうぜん)としていました。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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