よみもの・連載

本日はどうされました?

第五章 佐倉早織(さくらさおり)の話

加藤 元Gen Kato

 そう、私は現在、個人経営のクリニックで働いています。
 整形外科の、無床のクリニックです。朝の八時に出勤して準備をして、診察開始の九時からずっと静脈注射や筋肉注射ばかりしています。毎日、百人ぐらいに注射してますね。忙しいことは忙しいけれど、S病院のときみたいな殺伐とした感じはありません。夜勤はなし。いつも夕方には上がれるし、休みの日には友だちとも会える。精神的にも肉体的にもゆとりがあります。
 自分にゆとりがなければ、患者さんにやさしく接するなんてできないですよ。
 S病院を辞める前は、本当に疲れて、自分がなぜ看護師になったのか、わからなくなっていました。
 新人のときもきつかったですけど、変な風に慣れちゃうのも、怖いものなんですよね。看護師になって三、四年も経って、仕事ができるようになって来て、新人の指導なんか任されるようになっちゃうと、すべてが無感覚になって来るんです。少なくとも私はそうなりかけた。医者から指示されたこと、必要な処置であること、それだけでことを進めようとしてしまう。患者さんが人間であることを忘れてしまう瞬間があるんです。
 私、泣かれたことがあるんですよ。患者さんに。
 私より若い女性でした。膀胱(ぼうこう)カテーテルを使用する必要があって、医者から言われたとおりに用意をして説明をしてさっさと済ませようとしていたら、
「厭です」
 って拒否されたんです。
「でも、そうしないといけないんです。みんなそうしているんです」
「ほかのひとはどうでも、私は無理です」
 泣かれちゃった。
「私は人間なんです。人間でいさせてください」って。
 堪(こた)えたし、考えさせられました。患者さんの理解を得るって、そんなに簡単なことじゃない。医者や私にとっては当たり前でも、患者さんにとってははじめての不安な経験なんだ。そこをわかったうえで話さなくちゃ、言葉なんか耳に入るわけがない。マニュアルどおりに説明して納得するものじゃない。相手は人間なんです。
 あとで藤井さんに話したんです。そうしたら、彼女はすごい深刻に話を聞いてくれた。
「わたしたちは、医者と患者さんのあいだを繋がなくちゃ駄目だよね」
 看護師同士のカンファレンスでは、あまり積極的な発言ができるひとじゃないんです。もじもじ、もごもごしちゃって。でも、私相手には、藤井さんも口下手なりにけっこう饒舌(じょうぜつ)だった。
「わたしたちにしかできないことなんだよね。患者さんにとってはぜんぶがはじめてなんだもの」
 カンファレンスで言えなかった言葉が、次々に出てくる。言い合うことで、私たちが癒されるんです。

 藤井さんも友だちが少なそうですよね。じゃなきゃ、私なんかに話を聞きには来ないでしょう?
 彼女、不器用だし、べたべたする子じゃありませんしね。病院が変わってからも、何度か会ってごはんを食べたりはしたけれど、誘うのはたいてい私からです。彼女が誘ってくることなんか、ほとんどない。
 藤井さん、疑いが晴れたら、また仕事に戻ってほしい。彼女は誰よりも「思い」のある看護師でした。潰れて欲しくない。

 藤井さんは、私の大事な仲間でした。
 ええ、今でも、そうだと信じています。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

Back number