よみもの・連載

本日はどうされました?

第六章 蓮沼佳澄(はすぬまかすみ)の話

加藤 元Gen Kato

     *

 声と言えば、ひとつ、思い出しました。
「事件」の被害者のひとりと言われている、糖尿病の柳沢はる子さんが入院されているころだったかな。はっきりとは覚えていませんが、その前後だったと思います。
 お見舞いに来たらしい男性に、おかしな話をされたことがあるんです。
「おたくの看護師さん、大丈夫?」
 廊下を歩いていたら、不意に言われたんです。
「大丈夫、とは?」
「今さっき、看護師さんが、ひとりでぶつぶつ誰かを罵っているのを見たんですよ。怖い怖ーい声でしたよ。あのひと、どこか病んでいるんじゃありませんか。心配になっちゃった」
 男性は、不安そうにきょろきょろ周囲を見まわしていました。
「おれの母親が入院したばかりなんですよ。大丈夫かな」
「きっと、疲れていたんです。たまたまです」
 そんな風に答えるしかありませんよね。
「私だってひとり言、よく出ちゃいますよ」
「だいぶストレスが溜まっているんじゃないかな。悪魔みたいな声でしたよ。本当に大丈夫ですか」
 落ち着かない様子の男性に向かって、私は頷いてみせました。
「ひとり言でストレスを発散しているんです。大丈夫です」

 悪魔?
 馬鹿馬鹿しい。いい年齢(とし)をして、へんなことを言う男だな。
 あのときはそう思って、忘れるともなく忘れていたんです。
 でも、今になれば、馬鹿馬鹿しいとも言いきれない気がします。
「悪魔みたいな声」は、藤井さんじゃありませんよ。その日、藤井さんは、休みでしたから。
 もしかしたら、男性が聞いたのは、カンファレンスの日に私が聞いた声と、同じだったんじゃないでしょうか。

     四

 藤井さんが犯人とは、私は思えない。
 第二の理由は、柳沢はる子さんが亡くなられたあとのカンファレンスです。
 記者さん、菊村さんから、そのことは聞いていませんでしたか? 
 柳沢さんについて話し合いたい、と言い出したのは、意外なことに、藤井さんだったんです。あとで杉内さんから聞きました。
「柳沢さんは、私たちが苦手だったと、ご家族から聞きました」
 話を切り出したのは、杉内さんでした。藤井さんには無理なので、そうしてくれるよう頼んだんでしょうね。
「苦手、というより、私たちの誰かにひどく怯(おび)えていたという話なの」
 柳沢さんが、怯えていた?
 ほかのひとは知りません。私が感じたのは、困惑でした。
「そんな風に感じさせてしまった、心当たりがあるひとはいる?」

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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