よみもの・連載

本日はどうされました?

第七章 市井洋子(いちいようこ)の話

加藤 元Gen Kato

     二

 まなが可愛くなかったのか、ですって? 
 いいえ、そんなことはないんです。
 赤ちゃんのころは、無我夢中でまなを育てていました。ほかのことを考えるゆとりはまるでなかった。泣く。授乳する。おしめを替える。それだけで一日が過ぎてしまう。夜泣きが続いて困らされても、熱が出てうろたえさせられても、わずらわしいとか憎いとか考えたことはありません。寝顔を見れば心から可愛いと思えました。
 それが、いつから、少しずつ変わっていったのか。
 まなが片言でものを言いはじめて、自分の足で立って歩きはじめた。無力な赤ちゃんではなく、意思を持つひとりの子供になった。そして私は、だんだん違和感を覚えるようになっていったんです。
 違和感、としか、表現できません。
 まなは、よその子とは、どこか違うのです。
 例えば、まなは、おもちゃをすぐに壊しました。お人形もぬいぐるみも、すぐに駄目にしてしまう。自然に壊れてしまうのではなく、まなはわざと壊すんです。熊のぬいぐるみの眼や鼻をもぎ取ってしまったり、挙句は手足をちぎってしまう。おなかを裂いて綿を出してしまう。
「そんなことをしてはいけません。くまさんが可哀想でしょう」
 私は注意をしました。
「かわいいよ」
 まなは平然と言い返します。
「かわいがっているよ」
 私は、ばらばらになったぬいぐるみを縫い合わせました。どこかになくしてしまった眼も鼻も、ありあわせのボタンをつけて、直してあげました。幾度も、幾度もです。
「あたらしいおかおだ」
 まなは、嬉しそうにしています。
「そう、新しいお顔よ」
「まえよりかわいくなった」
「もう壊さないのよ」
「あたらしいおかおもすき」
 まなは逆らわず頷(うなず)きます。けれど、気がつくとまた眼が取れている。鼻が欠けている。叱っても、けろりとしています。
「あたらしいおかおにして」
 言うことを聞かないまなに、腹も立ちましたし、あまりにもそれを繰り返すので、気味が悪くもなりました。
「子供なんてそんなものじゃないの」
 もとの夫に相談しても、気のない返事ばかり。
「ぬいぐるみを直さなければいいじゃないか。おまえが直すから、それでいいものだと甘えているんだろう」
「抛(ほう)っておけって言うの?」
 もとの夫は、うるさそうに応じました。
「抛っておけよ。そうすれば俺はそんなどうでもいい話をぐちぐち聞かされなくて済む」
 どうでもいい話、なの?

     *

 先ほども言いましたけれど、もとの夫は、育児に積極的に協力してくれるひとではありませんでした。まなのおしめを替えるのも、お風呂に入れるのも、私だけ。手伝ってくれ、と頼んだこともありますが、そのたび返事は同じなんです。
「俺がやるの?」 
 それはおまえの役目だろう? そう続けたいのがありありとわかるんです。そのうち、もういいや、という気になりました。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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