よみもの・連載

本日はどうされました?

第七章 市井洋子(いちいようこ)の話

加藤 元Gen Kato

 おまえは育児ノイローゼなんじゃないか、とまで言われたことがありました。そんな風に受け取るなら、手を差しのべてくれてもよさそうなものなのに、もとの夫はなにもしてくれなかった。
 なにもせずに、こう言うんです。けっきょくおまえは俺にどうしろと言うんだ? まなのことを、まなを心配する私のことを、考える気なんてまるでないんです。
 いい子に育ってくれる。そう思いたい。でも、この状態はどうなの? 友だちもいないのに、気にするでもなく周囲を軽蔑している。母親まで小馬鹿にしているじゃないか。
 どうやってしつければ、直るって言うの?
 ちゃんと道理を伝えようとしても、夫が邪魔をする。あの子はもうわかってしまって、父親を利用している。
 いったい、どうしたらいいんだろう?

     *

 まなに眼をかけてくれる保育士さんは、いたんです。
「変わっているけど、頭のいい子ですよ」
 そんな風に言ってくれても、気は重くなるばかりでした。
 頭がいい?
 確かに、まなは言葉の覚えも早かった。数もかぞえられる。絵本も読めるし、字も書ける。
 けれど、まなは、友だちができない。
「年少組の子を叩(たた)いて泣かせてしまったんです」
「ちょっと、口喧嘩をしちゃったんです」
 保育士さんから聞かされるのは、そんな話ばかりです。
「気難しいのも、今のうちです。そのうちもっとお友だちができますよ」
 そう言われても、安心できません。保育士さんは、まなを数時間だけ見ていればいい。でも、私はずっとまなを育てていかなければならない。
「言い聞かせていれば、わかる子です」
 わかる?
 本当にわかったのでしょうか。
「小さい子に乱暴したんだって?」
 私が訊いても、まなは素直には答えません。
「知らない」
「先生から聞いたよ。嘘(うそ)をつかないの」
「嘘なんかついていない」
「じゃ、先生が嘘をついているっていうの?」
「うん」
 まなは、嘘をつく子になっていました。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

Back number