よみもの・連載

本日はどうされました?

第七章 市井洋子(いちいようこ)の話

加藤 元Gen Kato

     *

 こんなことではいけない。
 自分でもわかってはいました。
 まなの言動に、いちいち苛立ってはいけない。まなはまだ子供なのだ。母親として、まなを受け入れ、愛情を注がなければならない。そうすればきっと、まなは変わる。変わってくれるに違いない。
 自分でも、そう考えるよう努力はしてみたのです。けれど、成功したとは言えません。私は甲高い声を上げてまなを叱ることが多くなりました。そして、そんな自分自身がやりきれなくなりました。
 もとの夫との仲も、どんどん悪くなっていきました。もとの夫は、帰宅するとすぐにTVのリモコンを手に取って、観たい番組にチャンネルを合わせる。食事をしながらも視線は画面から動かず、うまいでもまずいでもなく、なにを話しかけても生返事です。
 まなが小学生になった時点で、フルタイムで働くようになりました。職場で雑用以外の事務仕事も任されるようになって来たからです。覚えなければいけないことも増え、残業も積極的にこなすようになりました。
「おかあさん、明日はお休みでしょう」
 まなに嬉しげに言われると、気分が重くなりました。明日は家にいなければならない。一日じゅう、まなのおかあさんでいなければならない。
 そんな風に感じてしまう自分と向き合うのも、苦しかったんです。
 あのころ、まなは、きっと寂しかったんでしょう。学校から帰っても、お帰りなさいを言ってくれない母親。家にいても、お仕事が残っているからとパソコンに向かっている母親。
「ペットを飼いたい」
 まなが言い出したのは、そのせいだったのかもしれません。けれど、私はそれを許しませんでした。
「死んでしまうと悲しいから、飼いたくないわ」
 そんな理由で、まなの願いを退けたのです。むろん、そうした思いがなかったわけではありません。私自身、子供のころは犬を飼っていました。高校生のときに病気で死んで、何日も何日も泣き暮らしたのも事実です。
 けれど、まなに対して飼いたくないと答えたのは、悲しみを避けたいからではありませんでした。むしろ、犬や猫を飼ってしまうと、どうしても情が移ってしまうことが怖かったのです。そう、私はあの時点で、もとの夫とまなとの家庭から逃げ出すことを無意識に求めていたのかもしれません。
 そして、もうひとつ、理由がありました。
 私は、まなの願いをすんなり聞き入れてあげたくはなかったのです。
 ペットを飼いたい? そんなお願いをしたいなら、なぜ、おかあさんの注意を聞かないの? どうして無視するの? 嘘をつくの? 泣いた真似をするの?
 私に断られても、まなはあきらめませんでした。犬や猫が駄目ならと、金魚を飼いはじめたのです。
 ある土曜日、金魚の入った水槽を抱えて帰って来たまなを見たとき、私は不機嫌になりました。
「どうしたの、それ?」
「おとうさんが、金魚なら飼ってもいいと言った」
 まなはとても嬉しそうでした。私の眼には、勝ち誇っているように見えました。
「勝手にしなさい」
 刺々(とげとげ)しい声で言い放った私は、ひどい母親だったと思います。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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