よみもの・連載

本日はどうされました?

第七章 市井洋子(いちいようこ)の話

加藤 元Gen Kato

 私からまなにそのことを問いただすことは、できませんでした。
 一週間ほど過ぎて、私の電話にまなから紗良へのメッセージが来たとき、ようやく私はまなに電話をかけたのです。
「おかあさん、どうしたの?」
 まなの声には、何の曇りもありません。
「紗良が落ち込んでいるの」
「なにかあったの?」
 屈託のない、明るい声。
「このあいだ、あなたにきついことをいろいろ言われたみたいね」
「きついこと?」
 まなは不思議そうに言いました。
「そんなこと言わないよ」
 嘘だ。この子は、また嘘をついている。
「紗良、ずっと笑っていたよ」
 私は、胸が塞がるようでした。
 傷ついただろうに、紗良は笑っているしかなかったんだ。
「とにかく、紗良も難しい年ごろだから、しばらく抛っておいてあげてくれる?」
 まなは、変わっていない。
「わかった」
 明るい声。
「まな」
「なに?」
「あなたに訊きたいんだけどね」
「どうしたの。何の話?」
 いかにも楽しげな、やましいことなどなさそうな声。
「いいわ、やっぱり」
 訊けない。訊けるわけがない。
 あなた、紗良になにか悪いものを飲ませたの?
「おかあさん、訊きたいこと、私にもあるんだ」
 まなは、快活な調子で続けました。
「犬を飼っているんでしょう?」
「え?」
 私は、どきりとしました。
 そう、うちでは今、柴犬を飼っているのです。私はまなには言わないようにしていました。紗良にもそれとなく口止めをしておいたのですが、うっかり漏らしてしまったのでしょう。
 そして、思い当たりました。
 あの日、紗良とまなが観に行ったのは、子犬が主役の動物映画だったのです。
「死ぬのが厭だって、紗良には言わなかったんだね、おかあさん」
 そして、電話は切れました。
 まなは、明るい声のままでした。

 まなからは、それきり、連絡がないのです。

     *

 私は、まなにとって、悪い母親でした。
 そして、まなはやはり、私を許してはいないようです。
 まなは、変わっていない。
 子供のころから、なにも変わっていない。
 だけど、まなが紗良になにか薬を盛ったなんて、心から信じているわけでもないんです。そりゃ、あのときは頭をよぎりましたけど、よくよく考えてみればあり得ないことです。
 なぜって?

 だって、まなは、看護師じゃありませんか。病人を救うために働いているまなが、そんなことをするわけがない。
 そうでしょう?

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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