よみもの・連載

本日はどうされました?

第八章 栗林明里(くりばやしあかり)の話

加藤 元Gen Kato

 私は、勤め先を早めに上がらせてもらって、E病院の内科病棟へ駆けつけました。
 四人部屋の、廊下側のベッドの上に、孝輝は寝かされていました。点滴やら心電図やら尿道管やら、体中に管が刺さっているようで、痛々しかったです。
「大変だったね」
 それしか言葉が出ませんでした。
「驚いたよ。二日酔いで気持ち悪いのかと思ったら、真っ黒な血が出てさ。しばらくトイレの便器に突っ伏したまま動けなかった」
 孝輝本人はわりに元気なようでした。二日酔いということは、またお酒を飲み過ぎたんだな、という点に引っかかりはしたものの、ひとまず安心はしたんです。
「最初の病院へはタクシーで行ったんだ。そこからE病院へ救急車で運ばれてさ」
「お金は大丈夫? 入院の保証金は払った?」
「信次に頼んだ」
「信次くんは?」
「店があるからって、さっき帰った。あいつにも迷惑かけちゃったなあ」
 信次くんは、孝輝の三歳齢下ですが、孝輝よりずっとしっかり者なんです。孝輝が大学二年生、信次くんが高校二年生のとき、二人のお父さんは交通事故で亡くなっています。お父さんは花屋さんだったんですが、お店の跡を継いだのは信次くんでした。
「ここ二、三年、いろいろあったからなあ」
 孝輝はしみじみと呟(つぶや)きました。
「俺の精神状態も躰(からだ)も限界だったのかもしれないな」
「そうだね」
 私は頷(うなず)いておきました。確かにこの二年間、孝輝にはさまざまなことがありました。ちょうど二年前、孝輝と信次くんのお母さんは胃癌(いがん)で亡くなっていたんです。お葬式では私もいくらかお手伝いをしました。喪主である孝輝がぼんやりしていてなにもしなかったので、お寺や葬儀屋との交渉も法律的な手続きも、信次くんがひとりで処理したんです。
 それまではお母さんと兄弟三人で暮らしていたんですが、住んでいたマンションを引き払って、兄弟はそれぞれ別に住むようになりました。マンションを売ったり財産分与の手続きをしたりしたのも、信次くん。孝輝はただ言われるままに従うだけ。
 精神的にはともかく、肉体的にはどうなのかな。あんた、あんまり動いていないじゃないの。
 突っ込みたい気はしましたが、いくら何でも、こうして実際ベッドの上で苦しんでいる孝輝に向かって、そんなことは言えません。
「仕事でもいろいろあったしな」
 孝輝の言葉に、私はまた頷いてみせます。
「そうね」
 お母さんが亡くなって間もなく、孝輝は勤めていた印刷会社を辞めていました。上司と合わなくてつらい、という愚痴はさんざん聞かされていたんですが、ついに限界に来たようです。お母さんの死の衝撃もあって、感情的に耐えられなくなったのかもしれません。理解はしたいと思いました。けれど、次の就職先も決めないうちに辞表を出してしまったのだから、私もやさしい顔はできませんでした。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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