よみもの・連載

本日はどうされました?

第八章 栗林明里(くりばやしあかり)の話

加藤 元Gen Kato

「ねえ、私、孝輝の別れた恋人よ? 母親じゃないのよ?」
 しかも、別れるに至った直接の原因はその女じゃないか。
「まあ、そうだな」
 孝輝は沈んだ調子で応じました。
「無理を言ってごめん。でも、ほかに頼るひとが思いつかなくてさ」
「飲み友だちがいるじゃない」
「連中に女を見る眼はないよ。ナースだ、看護師だ、白衣の天使だっていやらしい興味で喜ぶだけだ」
「女の子の友だちは?」
「いない」
「いるでしょう」
「いないよ。明里とつき合っているあいだ、俺は真面目だったよ。そこだけは信じて欲しい」
 そうだったんだ。「まなちゃん」と会うまでは、ね。
「実は、彼女以外にも連絡先の交換をした看護師さんはいるんだ」
 何だと?
「ごめん。今だから言うけどさ」
 つまりは浮気する気まんまん。相手が「まなちゃん」じゃなくてもよかったんだ。今さらながら、孝輝とは別れるほかなかったのかもしれない、としみじみ悟りました。
「で、そっちの看護師さんから連絡はあったの?」
「ない。今の彼女からしか連絡がなかった。だからこういう結果になったわけ」
 あきれ返る一方で、いくらか可哀想にもなって来ました。
「信次くんはどうなの?」
「あいつは俺に怒っているから無理だよ。明里が可哀想だってめちゃくちゃ責められた」
「ふうん」
 この半年、信次くんとは何度も会うようになっていました。私のことを大事に思ってくれているんだな、と嬉しかったです。
 それに引き換え、あんたはどうよ、孝輝?
「彼女とは、別れた方がいいような気もするんだ」
「好きにしたら?」
「別れたら、俺たち、やり直せないかな」
 私は黙りました。
 つくづく身勝手な男だな。たった今、ほかの看護師にも粉を撒(ま)いていたと白状したその口で、ふざけたことを言うな、という怒りもありました。
 けど、なにより強かったのは、それだけはできない、という拒否感です。自分でも意外なくらい、孝輝の言葉は私には受け入れがたかった。
「明里?」
「それは駄目だよ」
「やはり許せない?」
 もう、孝輝に情はない。
 そう言ったら嘘になる。けれど、これから先、私が一緒にいたいのは、孝輝じゃない。私には、ほかに気になる男性ができていたんです。
 でも、そのことは、孝輝には言えなかった。
「あっさり許せるくらいなら、最初から別れるなんて言わない」
 それくらい、あんたが好きだったんだよ、あのときは。でも、もう、その気持ちには戻れない。
「そうか」
 さらに暗い声になって、孝輝は電話を切りました。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

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