よみもの・連載

本日はどうされました?

第八章 栗林明里(くりばやしあかり)の話

加藤 元Gen Kato

     *

 信次くんも、「まなちゃん」の話はいくらか聞かされていたようです。
「兄貴はだいぶ逃げ腰になっているよ」
 次に会ったとき、その話題になりました。
「言いわけのつもりなのか何なのか、俺にも彼女の話をするんだ。不安なんだってさ。だったら結婚はするな、避妊はしておけ。そんな風ななりゆきで生まれちゃったら、子供があとで迷惑する、くらいは言ったけど」
 信次くんはためらってから、続けました。
「避妊もなにも、彼女とはそういう関係じゃないって、兄貴は言うんだ」
「え?」
 私は驚きました。
「どういう意味?」
「つまり、なにもしていないんだってこと」
「だって、彼女は孝輝と結婚したいんでしょう?」
「だからさ、そういう関係は、結婚するまで持ちたくないって、彼女が言ったらしいよ」
 唖然(あぜん)としました。そんな女、今どきいるの?
「信じられないだろう?」
 信次くんは苦笑していました。
「そのくせ、指輪をやたらに欲しがる。指輪の画像を見せて、これがいいとかあれがいいとか、おねだりをするらしいよ。友だちが持っている指輪より安いものじゃぜったい厭だとか、露骨なんだそうだ」
「ひどいね」
「兄貴は兄貴で、彼女には正直な話はしていないんだよ。仕事のことも、まだ会社勤めだって言っているらしい。彼女も兄貴がアルバイト暮らしとは知らないから、よけいにおねだりも遠慮がなくなるんじゃないかな」
 どっちもどっちだな、と私は嘆息しました。
「彼女に愛情があると思える?」
「思えないねえ」
「俺も、やめておいた方がいいような気がする。でも、そうなったら、兄貴は明里さんとよりを戻したがるだろうな」
 私は、ははは、と笑って受け流しました。
「どうするの?」
 信次くんの表情は真面目になっていました。
「兄貴がそう言ってきたら、明里さんは兄貴と戻るの?」
 私も、真面目な顔になっていたと思います。
「戻らない」

 私は信次くんが好きになっていたんです。

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。作家。2009年『山姫抄』で第四回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『流転の薔薇』『ひかげ旅館へいらっしゃい』『四百三十円の神様』『好きなひとができました』など。

Back number