よみもの・連載

渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ

将来に悩むアラサー女性ライターの晶。
専門スキルを磨く?起業?それとも――結婚?
「次の一歩」を決めかねていて……。
大人気『インディゴの夜』シリーズ、前日譚!

『インディゴの夜』舞台化決定!
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第一話

加藤実秋Miaki Kato

    *

 喋(しゃべ)りたいだけ喋ったら喉が渇いたので、私はジョッキのビールを飲み干した。
 カウンターの中で、タオルを捻(ねじ)り鉢巻きにして焼き鳥を焼いている店員にジェスチャーでお代わりを頼み、向かいを見た。塩谷(しおや)さんが押し黙り、横を向いている。
 剛毛で、パイナップルの葉のように盛り上がって跳ねている髪に、襟がよれたラルフローレンのポロシャツ。四角い顔が酔いでまだらに赤くなっているのも併(あわ)せて、いつも通りなのだが、小さい目は強く鋭く光っている。塩谷さんは大手出版社の雑誌編集者で、私はその雑誌で仕事をするフリーライターだ。
 そう言えば、私が喋りだしてしばらくは相づちを打ったり、イカの塩辛を食べたりしてたけど、途中からノーリアクションだったな。怪訝(けげん)に思い、私はおしぼりを取って額に浮いた汗を押さえた。
 池袋西口の繁華街の外れにある居酒屋。つまみも酒も旨(うま)く、雰囲気もいいが、エアコンの効きは悪い。真夏とはいえ時刻は午前二時を過ぎ、気温も多少は下がっているはずなので、外の方が涼しいかもしれない。
 どうしたのかと訊(たず)ねようとした刹那、塩谷さんは握っていた割り箸(ばし)をテーブルに放り出した。
「お前、有り金かき集めていくらになる?」
 四角い顔が前を向き、一緒に小さな目も動いて、こちらをじろりと見る。
「えっ?」
 思わず聞き返すと、目をそらさず、塩谷さんはさらに言った。
「ガツガツ働いてる割に、安アパートに住んで安酒かっくらって、服も安物。そこそこ貯(た)め込んでるだろ? その金、手をつけるなよ。いつでも動かせるようにしておけ」
「いきなり、なによ。『ガツガツ』の『そこそこ』で、悪かったわね。その上、『動かせるようにしておけ』って、どういう――」
「『絶対成功するサイドビジネス』。俺らの鉄板ネタだろ?」
 声のボリュームを落としつつきっぱりと、塩谷さんは告げた。怪訝に思い、私は逆に声を大きくした。
「はい? なに言ってんの? またなにか思いついたの? 悪いけど、さっきのネタと同じように、多分誰かが既に」
「バカ、そうじゃねえよ。俺とお前で、店を始めるんだ。歌舞伎町にも池袋にも六本木にもねえ、まったく新しい店をな」
 顎(あご)を上げ、小鼻も膨らませて言い放つ。しかし私が、
「『店』ってなんの? 『まったく新しい』って、どんな風に?」
 と問うたとたん、眉を寄せて呆(あき)れたような顔をした。
「たったいま自分で、暑苦しく、長々と、ご高説を垂れたばっかりだろうが。お前、大丈夫か? 昔やってたヤバいクスリやらケンカの後遺症やらで、脳みそがいかれてるんじゃねえか?」
「失礼ね。私が入ってた暴走族(ゾク)は、『シンナー遊び(アンパン)と売春(ウリ)は御法度。ケンカは素手(ステゴロ)に限る』が掟の硬派なチームで」
「なんでもいいから、とにかく金を用意して待ってろ。忙しくなるぞ……そうだ。俺は、当分会社には行かねえからな。お前のところに連絡があったら、適当に言い訳しておけ。いいな?」
 再び目を光らせてまくし立て、塩谷さんは財布を出して一万円札を抜き取り、テーブルに置いた。「これで勘定をしろ」ということらしい。バッグをつかんで席を立とうとしたので、私は慌てて訊ねた。
「そっちこそ、大丈夫? 悪いんだけど言ってることも、そのハイテンションさも、さっぱり意味がわからない」
 表情と声から私が本気で戸惑い、心配しているのが伝わったらしく、塩谷さんは動きを止めてこちらを見た。しかし目が合うとにやり、と笑い、
「いいから、任せろ。伸(の)るか反るか、やってみようぜ」
 と告げ、店員に「ごちそうさん」と手を上げて、足早に店を出て行った。

プロフィール

加藤実秋(かとう・みあき) 1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。
『インディゴの夜』シリーズの他の著書に「モップガール」シリーズ、「アー・ユー・テディ?」シリーズ、「メゾン・ド・ポリス」シリーズなどがある。


インディゴの夜
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