よみもの・連載

渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ

第二話

加藤実秋Miaki Kato

 新宿〈プチモンド〉は、今日も同業者でいっぱいだ。
 私が進む通路の傍(かたわ)らのテーブルでは、編集者らしき若い男がマンガの下書きを手に、向かいに座るマンガ家と思しきさらに若い男に檄(げき)を飛ばしている。反対側のテーブルに広げられているのは、書籍のカバーが印刷された大きな紙。白地に、書体はシンプルだがサイズの大きな文字を配したカバーのデザインと、テーブルを挟み真剣な顔で紙を覗(のぞ)くスーツ姿の中年男四人からして、ビジネス書か自己啓発本の装丁の打ち合わせだろう。
 店内には煙草のけむりとコーヒーの香りが漂い、携帯電話の着信音も聞こえる。
 近づいて来た店員の男に「待ち合わせです」と告げ、視線を奥に向けた。窓際の席に、ごま塩頭に台襟のシャツ、銀縁眼鏡の五十代半ばの男がいた。テーブルには、「翠林(すいりん)出版」と印刷された封筒。
 阿部さんが教えてくれた外見と、事前に電話で告げられた目印が一致したので、私は歩み寄り頭を下げた。
「浅海(あさみ)さんですか? 高原晶(あきら)です」
「どうも。初めまして」
 持ち上げたコーヒーカップをソーサーに戻し、浅海さんは立ち上がった。向かいの席にバッグを置き、私は名刺入れを出した。
「お待たせして、申し訳ありません。よろしくお願いします」
「いえいえ。翠林出版の浅海です。よろしくどうぞ」
 名刺を交換し、まずはオーダーを済まそうと私がメニューを取ると、浅海さんが言った。
「高原さん、お若いですね」
「ありがとうございます。十八から、この仕事をしているので」
 この業界において「若い」は、必ずしも褒(ほ)め言葉ではない。暗に「キャリアが浅い」と指摘されているということで、言われた場合は、「仕事を始めたのが早いから」と返すようにしている。
 納得したのか、しないのか。浅海さんはノーリアクションで、ぱんぱんに膨らんで重たそうなショルダーバッグから本を二冊出し、テーブルに置いた。
「こちらがうちで刊行を始めた、健康実用書のシリーズです」
 手に取って見ると二冊とも同じ装丁で、タイトルはそれぞれ『ニコニコ元気ブックス 糖尿病がわかる本』『ニコニコ元気ブックス 脳卒中がわかる本』とあった。
「お陰様で好評で、とくに脳卒中は半年で三刷(さんずり)です」
 売れていて、刊行して半年で三回重版、つまり増し刷りをしたという意味だ。一冊を開き、「すごいですね」と返す私を、浅海さんが眼鏡越しにじっと見ているのがわかった。
「がんとか心臓病とか、主立った病気は刊行したので、今後はもっと身近だったり、あまり深刻でなかったりする病気も、テーマにしていきます。昨日、企画が通ったばかりなのがこちらです」
 そう続け、浅海さんは私の前に書類を置いた。表紙には『翠林出版 ニコニコ元気ブックス【ニコチン依存症がわかる本】企画書』とワープロで打たれていた。表紙をめくり、企画書に目を通した。
『第一章 禁煙のすすめ 第二章 こんなに怖い! 煙草の害と依存症 第三章 ニコチン依存症の原因と治療 第四章 最初の難関・ニコチンの離脱症状……』
「著者は、大学病院の禁煙外来の医者になります。高原さんのお名前は表に出ませんが、構いませんか?」
「ええ。タレントのエッセイですが、以前にもゴーストの仕事はしています。あとは、電話でもお話ししましたが、雑誌の健康ものの特集を担当したことが何度か……これ、ご覧になって下さい」
 私はバッグからファイルを出し、浅海さんに渡した。中には、私がこれまでに書いた雑誌や新聞などの記事を切り取ったものが収められている。こうしたファイルは営業には不可欠なツールで、イラストレーターやカメラマンなども持っている。

プロフィール

加藤実秋(かとう・みあき) 1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。
『インディゴの夜』シリーズの他の著書に「モップガール」シリーズ、「アー・ユー・テディ?」シリーズ、「メゾン・ド・ポリス」シリーズなどがある。


インディゴの夜
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