よみもの・連載

渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ

第二話

加藤実秋Miaki Kato

 受け取ってファイルをめくりながら、浅海さんが問うた。
「高原さんが原稿を書く時、一番気をつけていることはなんですか?」
「いろいろありますけど、一言でいえば『読む人の身になる』でしょうか」
「なるほど」
 頷きはしたが、浅海さんの表情は動かない。
 ダメなの? 不合格なら、はっきりそう言って。
 もやもやとしたものを感じ、私は心の中で問いかけた。真面目で仕事に厳しそうなのは望むところだが、阿部さんが言っていた通り合う合わない、加えて好き嫌いもはっきりした人のようだ。
 ファイルを閉じ、浅海さんはこちらを見た。
「健康実用書の主な取材相手は医者や研究者ですが、先方も本の方向性を理解して話してくれますし、そう難しいことはありません。ただ、娯楽を目的とした出版物ではないので、原稿の書き手には、相応の心構えが必要になります。ご理解いただけますか?」
「はい」
「では、資料をお送りするので、『ニコチン依存症がわかる本』の原稿を一章分書いてみて下さい。それを読んで、お仕事をお願いするか検討します。これだけのキャリアのあるライターさんに、失礼かとは思いますが」
「いえ、わかりました。なるべく早く書いて、送ります」
「これだけのキャリアのある」って、ファイルには、お愛想程度に目を通しただけのクセに。心の中で憤慨しつつ、私は笑顔を作って頷いた。浅海さんもにっこり笑い、
「楽しみにお待ちしています」
 と返し、こちらにファイルを戻した。

「階段で、同じビルに入っている書店に行く」と言う浅海さんと店の前で別れ、エレベーターホールに向かった。下りのエレベーターを呼ぶボタンを押した直後、岡田有希子の『ファースト・デイト』の着メロが流れだした。
 周囲の人の視線を感じつつ、私は携帯を出して構えた。
「はい。高原です」
「一志だけど。今ちょっといい?」
「うん。ちょうど、打ち合わせが終わったところ。どうかした?」
 早口で答え、私はエレベータホールの端に移動した。
「いや。これから忙しくなって、しばらく連絡ができなくなりそうだから」
「そうなんだ。わざわざ、ありがとう」
 気持ちはありがたいが、いつもこの手の連絡はメールだ。なにかあるな、と感じた矢先、一志は続けた。
「旅行の件なんだけど、俺は別にどこでもいいんだ。前に晶が『千里浜(ちりはま)なぎさドライブウェイ』に行きたい、って言ってたのを思い出したから、ついでに俺の実家に寄ってもらってもいいな、と浮かんだだけで。晶と一緒なら、どこでもいい」
 口調は落ち着いてのんびりしているが、声が変に響いている。会社のトイレの個室から、かけてきているのかもしれない。
「忙しくなるっていう時に、わざわざ」という気遣いのうれしさが、「『どこでもいい』って繰り返すところに、逆に『金沢に行くよな?』って希望を感じるんだけど」という疑問にわずかに勝り、私は告げた。
「うん、わかった。ありがとう。私もちょっとバタバタしそうだから、仕事の合間に考えておくね」
「了解。お互い、いい仕事しようぜ」
「おう」
 最後は笑いを含んだ声で言い合い、通話を終えた。
 こういう、理解できないなりに私の仕事を尊重し、同志として接してくれるのも一志の好ましいところであり、「いいヤツじゃん」と嬉しくなる。そんな一志がどういう街で生まれて育ち、両親はどんな人なのかには、純粋に好奇心を覚える。とくに母親は、土橋くんの話が本当で、一志のキャラクター形成に影響を与えたのなら、会って話してみたい。だが、こんな能天気なことを考えているのは私だけで、一志の両親は、自慢の息子の伴侶となるかもしれない人物を観察し、評価を下す場と解釈するだろう。
 だったらいっそ、アルバムとか卒業証書とかを持参して、さっき浅海さんにしたように「これまでの私」をプレゼンしようか。ふと浮かび、同時に「『物書きの目』に反応したり、なんでも仕事に絡めて考えたりするのは、悪いクセだな」と反省した。
 しかし、学歴もなく、組織にも属さず、書いた原稿だけで生活し、キャリアを積み重ねてきた身としては指針となり、拠(よ)り所にできるのは仕事しかない。そう思うと、ちょっと情けなく、自分が心もとなく感じられた。

プロフィール

加藤実秋(かとう・みあき) 1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。
『インディゴの夜』シリーズの他の著書に「モップガール」シリーズ、「アー・ユー・テディ?」シリーズ、「メゾン・ド・ポリス」シリーズなどがある。


インディゴの夜
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