よみもの・連載

渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ

将来に悩むアラサー女性ライターの晶。
専門スキルを磨く?起業?それとも――結婚?
「次の一歩」を決めかねていて……。
大人気『インディゴの夜』シリーズ、前日譚!

『インディゴの夜』舞台化決定!
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第四話

加藤実秋Miaki Kato

 翌日の午後。私は土橋(どばし)くんを連れて、木津(きづ)さんの会社に行った。
 木津さんと話して作業環境も見た土橋くんはやる気になり、「仕事が発生したら、是非」ということになった。出入口のドア脇の打ち合わせスペースに移動し、三人でコーヒーを飲んだ。世間話をしていたら翠林(すいりん)出版の話題になったので、私はつい昨日の出来事を話してしまった。
「確かに、浅海(あさみ)さんって人の言うことは間違ってないわよね。でもさ、いくら読者が切羽詰まってるからって文章もシリアスで緊張感漂いまくりだったら、それはそれで実用的とは言えないでしょ」
 話を聞き終え、木津さんはそうコメントした。オーバル型の白いテーブルに両手を乗せ、外した眼鏡のレンズをハンカチで拭いている。テーブルの端には、これも誰かからの開業祝いと思しき小さな観葉植物の鉢植えが置かれていた。
 コーヒーを飲んで真新しいカップをソーサーに戻し、私は頷(うなず)いた。
「まあね。だから文体はフラットなんだけど、言葉の選び方とか全体の構成とかはさり気なく読者に寄り添って、って感じみたい」
「はあ。『言うは易(やす)く』よね……ちなみにその仕事、ギャラはどうなの?」
 木津さんが声のトーンを落としたので、私も背後で仕事中の若い社員たちをチラ見してから、自分の手帳を開いた。ペンを取り、ページの端に四百字詰め原稿用紙一枚当たりの原稿料を書き込む。向かいの木津さんが素早く眼鏡をかけ直して首を伸ばし、隣の土橋くんも手帳を覗(のぞ)き込んだ。
「一枚三千五百円か。単行本の仕事は書く枚数が多いから、雑誌より安めなのよね。それにしてもまあ、普通よね」
 声のトーンを戻し、また木津さんがコメントする。「メモに書いた意味ないじゃない」と心の中で憤慨しながら、私もまた頷いた。
「うん。至って普通」
「それで、いま高原さんはどうしているんですか?」
 黙って私たちの話を聞いていた土橋くんが、口を開いた。
 今日は襟の付いたシャツを着てプレスされたコットンパンツを穿(は)いているが、腰で揺れるウォレットチェーンはこの間飲んだ時と同じだ。テーブルの上には、彼のこれまでの仕事を収めたファイルが載っている。
「資料と、【ニコニコ元気ブックス】を読み直してるわよ。糖尿病と脳卒中以外の、既刊本も全部。他の出版社の健康実用書も読んでみようと思ってる」
「すごいですね。『喧嘩上等』って感じですか?」
 土橋くんの問いに木津さんが笑う。私も笑ってから、こう答えた。
「プライドはキズついたし、そういう気持ちがないと言えばウソになるけど、『叱ってくれる人』は貴重よ。素直にありがたいと思う」
 木津さんは「ああ」と納得したように頷いたが土橋くんはきょとんとしたので、私はさらに言った。
「相手が部下とか同じ組織なら、『人を育てる』って意味で叱る必要もあると思う。でも私たちはフリーランスで、外の人間。言わば下請けで、時間と労力を使って叱る、つまりなにかを教える義務も義理もないの。編集者が自分で原稿を書き直すか、適当な理由で首を切ればそれで済んじゃうし、事実そういうパターンが圧倒的に多い。それでも中には原稿の内容とか社会人としての立ち居振る舞いとか、『ここがダメ』って指摘して成長のチャンスをくれる人がいる。大切にしないと。とくにある程度のキャリアになると、周りもあれこれ言いにくくなるでしょ」

プロフィール

加藤実秋(かとう・みあき) 1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。
『インディゴの夜』シリーズの他の著書に「モップガール」シリーズ、「アー・ユー・テディ?」シリーズ、「メゾン・ド・ポリス」シリーズなどがある。


インディゴの夜
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