よみもの・連載

渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ

将来に悩むアラサー女性ライターの晶。
専門スキルを磨く?起業?それとも――結婚?
「次の一歩」を決めかねていて……。
大人気『インディゴの夜』シリーズ、前日譚!

『インディゴの夜』舞台化決定!
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第五話

加藤実秋Miaki Kato

 ドアを開け、一志(かずし)が店に入って来た。
 レジに立つ女の店員に「待ち合わせです」と告げながら、客席フロアを眺めるのがわかる。私はソファから腰を浮かせ、大きく手を振った。気づいた一志が、こちらに歩きだした。半袖のワイシャツにネクタイ、スラックス姿で手にビジネスバッグとスーツのジャケットを持つ、という夏の出勤スタイルで、怪訝(けげん)そうに周囲の客席に視線を走らせている。
 花柄のビニールソファとテーブルが並ぶフロアでは、一志と似たような格好の若いサラリーマンが新聞を読みながらフレンチトーストを食べたり、夜遊び帰りと思しき若者のグループが、コーヒーが置かれたテーブルにうつ伏せになって爆睡したりしている。
 早朝のファミリーレストランではよく見られる光景だが喫煙席なので、サラリーマンのテーブルには煙草(タバコ)の箱とライターが置かれ、爆睡する若者の指には紫煙が立ち上る煙草がはさまれている。
「おはよう。どうしたの?」
 ソファにバッグとジャケットを置いて腰掛けながら、一志が訊(たず)ねた。向かいに座るボーダーのカットソーにジーンズ姿の私も、火の点(つ)いた煙草を手にしている。
「おはよう……いや、煙草を吸えば、ちょっとは読者の気持ちがわかるかなあ、と思って」
「読者って、このまえ言ってたニコチン依存症の本? 書き直した原稿を、編集の人に送ったんじゃなかったっけ?」
 続けて問いながら、一志はテーブルの端のスタンドからパウチ加工されたモーニングのメニューを取って開いた。頷(うなず)き、私は返す。
「うん。『前よりはよくなった』とは言われたんだけど、大量にダメ出しされちゃって、ほぼまた書き直し。資料も既刊本も覚えるほど読んだし、これ以上なにをどうしたら、って感じで」
「で、自分も喫煙者に? すごいな。俳優の役作りみたいだ。でも、晶(あきら)は煙草はダメなんじゃなかったっけ」
 ちょうど私が煙草をくわえて煙を吸い込んだタイミングで、一志が問うた。
「うん」と答えようとしたそばから胸が苦しくなって喉もしめつけられ、私は激しく咳(せ)き込んだ。
 中学に入ってグレだしてすぐ、私は「ツッパリのたしなみ」として飲酒と喫煙に手を出した。はじめは「苦い」「気持ち悪い」だけだった酒は、すぐに慣れて今に至るまで「いけるクチ」なのだが、煙草はいつまでたっても「苦しい」「クラクラする」のままだった。体に合わないということで諦め、その後はずっと非喫煙者を通してきた。
 ゲホゲホと咳き込み続ける私に周囲の客が怪訝そうな目を向け、一志はちょっと呆(あき)れた様子で私の手から煙草を取って合成樹脂製の灰皿に押しつけて火を消した。
「水を差すようで悪いけど、かなり長いあいだ吸い続けないとニコチン依存症にはならないし、その前に体を壊すと思うよ。しかも、今どきハイライトって」
 テーブルの上の淡い青の箱を持ち上げ、白い歯を見せて笑う。息を止めて胸もさすっていたらなんとか咳が治まったので、私は一志の目尻に寄った三本のシワとえくぼを眺め、返した。
「女性がよく吸うメンソールのやつじゃ、ぬるい気がしたのよ。それに、ハイライトのパッケージってカッコいいし」
「まあね。実家の父親が吸ってるよ。母親や医者に、『やめろ』って何度言われても絶対にやめない。晶のニコチン依存症の本が出来たら読ませてやりたいよ」
「是非。その前に、『原稿は書き上がるのか?』って気もするけど」
「大丈夫。なんとかなるって」
 やり取りしつつ、店員に私は朝がゆセット、一志は豚汁定食を注文した。

プロフィール

加藤実秋(かとう・みあき) 1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。
『インディゴの夜』シリーズの他の著書に「モップガール」シリーズ、「アー・ユー・テディ?」シリーズ、「メゾン・ド・ポリス」シリーズなどがある。


インディゴの夜
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