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連載
ニッポンをお休み!
「ニッポンをお休み!」第24回 川端裕人 Hiroto Kawabata
 ニュージーランドは「十五少年漂流記」の国だ。連載の最初の方で何度も繰り返した。
「家」のような有形のものであれ「社会」「コミュニティ」のような無形のものであれ、自らの手で作りあげる誇り高き十五少年の末裔が、ニュージーランドという「実験国家」を支えている。
 もちろん「十五少年」は実在していたわけではないのだが、開拓時代のニュージーランドは、都市から少し離れると、彼らが漂着したチェアマン島と変わらない状況だった。英国の作家サミュエル・バトラーが、開拓時代のカンタベリー(クライストチャーチがある地域)に6年ほど牧羊者として住んでいた際に書いていた日記や、のちに書かれた評伝を読めばそのことがはっきり分かる。隣人などどこにもいない奥地にVハット(板を両側から立てかけて作る簡素な小屋)を作り、風雪に耐え、最初の冬を一人で越したエピソードなど、非常に冒険的である。
 ちなみに、バトラーは英国に戻った後で作家として立ち、代表作「エレホン」を発表した。のちにハクスリーの「すばらしい新世界」など反ユートピア小説のモデルにもなったと言われる古典だ。この作品の主人公はある島に入植した牧羊者で、牧草地の遙かかなたに見える山脈を探検し、隠れ里国家「エレホン」を発見する。英語のNowhere(どこにもない)をほぼ逆に綴って"Erewhon"としたという。とすると、「エレホン」の舞台もニュージーランドだと想像したくなるし、また、実際にそれが定説になっている。彼の冒険的開拓生活が、舞台設定にそのまま活かされている、と。
クライストチャーチの自宅からは、天気が良ければ南島の脊梁山脈、サザンアルプスが見えた。
クライストチャーチの自宅からは、天気が良ければ南島の脊梁山脈、サザンアルプスが見えた。
 バトラーの開拓生活に十五少年に類似の精神を見付けることは容易だ。そして、それは間違いではない。
 ところが、バトラーの場合それだけでは済まない。「エレホン」の内容を読めば分かる。作中では、「これあり得ないよ!」と言いたくなるような奇天烈な社会が描かれている。
 エレホンでは70歳以下の者が病気になることは重罪とされる反面、盗みや詐欺などの犯罪は、我々の社会の「病気」と似た扱いを受け、周囲から同情されたり、治療をすすめられる。美しいことはそれ自体徳であり、醜いこともそれ自体罪悪である。「進歩」を敵視し、科学は禁止。機械類は徹底的に排斥されている。若者は「不合理大学」に通い、理屈に合わない変な議論を覚え込まされて、青春の日々を空転させる。「音楽銀行」という、現実社会ではまったく役に立たないが名誉とされる貨幣を扱う銀行と、通常の商行為に使われる貨幣を扱う銀行が並立している……などなど。
 ぼくは高校生のときに「ユートピア小説・反ユートピア小説」(これらは常に紙一重だ)に凝っていた時期があって、おもしろ半分に読んだ。しかし、今読み返してみると、バトラーがヴィクトリア朝時代の「三大権威」、宗教・親・機械を強烈に風刺しているのだと理解できる。舞台のモデルこそニュージーランドだが、描かれるのは十五少年的冒険ではなくて、むしろ、彼が後にしてきた母国について、なのだ。
 異国(バトラーの場合は植民地)の違った環境に身を置くと、これまでと違ったことが見えてくる。バトラーが、ニュージーランド暮らしの経験ののちに「エレホン」を書いたことを知ったとき、ぼくは少し興奮し、ある種の親近感をおぼえた。というのも、自分もずい分、矮小ではあるけれど、ほんの半年の間に似たプロセスを経験しつつあったからだ。
 バトラーは遠い山脈を見ながら、母国への批判精神を研ぎ澄ました。
 一方、ぼくも、ニュージーランドの社会の中で、とりわけ子どもたちが通う学校や保護者とのかかわりの中で、日本の教育、特に学校をめぐる共同体について様々な新発見をした。
 これについては、帰国後しばらくしてからウェブで連載したし、近々に本にまとめたいと思っている。「エレホン」のように洒落た小説にはならず、あくまでノンフィクションだけれど。
 それはそれとして……滞在期間ももう後半になったある週末の朝、ぼくは思い立って、「今からメソポタミアステーションに行くぞー」、と子どもたちに告げた。
 メソポタミアステーションは、バトラーが拓き、今も羊や牛が放牧されている大規模農場のことだ。子どもたちはちんぷんかんぷん。「十五少年」ゆかりの地を探すのとは違って「昔の作家が住んでいたところを探す」くらいの説明しかできない。でも、途中には川もたくさんあるし、港もある。道路が川と近いあたりを通ったり、潮のちょうど良い時間にうまく港の近くに着いたら、釣り竿を取り出しつつ、のんびりと一日を過ごすプランだ。
 バトラーがさんざん歩き回った後で見つけた彼の農場は、ランギタタという川の上流に位置している。土地の使用申請はクライストチャーチで行わなければならず、同じ場所を狙っていた別の入植者と争いタッチの差で自分のものにするなどスリリングな逸話が、彼の評伝には記されている。当時は徒歩で4、5日はかかったというが、道路網が整備された現在は、片道3時間半くらいとみた。国道1号線をひたすら南下し、サーモンフィッシングで有名なラカイア川を渡り、さらに次に出会う大河がランギタタ川だ。
いつもは通り過ぎるだけの川だったが、川沿いに走ってみると味のある瀬があちこちにあった。トラウトの姿もちらり。まったくルアーには反応しなかったけれど。
いつもは通り過ぎるだけの川だったが、川沿いに走ってみると味のある瀬があちこちにあった。
トラウトの姿もちらり。まったくルアーには反応しなかったけれど。


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〈プロフィール〉
1964年兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。東京大学教養学部卒業。日本テレビ入社後、科学技術庁、気象庁担当記者を経て、97年退社。98年『夏のロケット』で小説家デビュー。著書に『リスクテイカー』『川の名前』『今ここにいるぼくらは』『エピデミック』『銀河のワールドカップ』などがある。

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