よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第一回

川上健一Kenichi Kawakami

 三条清乃はパッチリとした目を細めてクスクス笑う。
「あ、分かった」
 水沼は納得してうなずく。
「ドンダモンダ、だ。どうなんだ? って訊いたつもりだったんだよ」
 と苦笑する。
 無意識に方言が口から出るようになった。標準語でしゃべっていても、どうした訳か単語が方言になってしまうことがある。それもごく自然に口から出てしまうのだ。
 水沼は青森県の十和田市で生まれ育った。十和田市の高校を卒業してから、ずっと東京で暮らしている。今年で六十歳になるから、十和田市で暮らしていた年数の二倍以上も東京に住んでいることになる。標準語をしゃべっている年月が二倍以上になっているということだ。だから無意識に出る言葉は標準語だ。関東地区に住んでいる同級生と会ったり、電話で話をしても、標準語の方がしゃべりやすかった。方言でしゃべり合っても、別れてしまったり電話を切ってしまえば、自然に標準語に戻って方言が出ることはなかった。
 それが最近では無意識にしゃべってしまうのだ。会社でも、家でもだ。社員や家族が意味が分からずにポカンとしてしまうことがある。しゃべり始めたきっかけが何だったのかは思い当たらない。けれども、初恋のことを思うようになってからではないかと、水沼は考えている。
「ドンダモンダですか。どんなもんだ? が訛ったんですね。でも標準語のイントネーションで言うと、どんなもんだ、って分かりますけど、社長の田舎ネイティブないい方だと、ナンジャモンジャ、みたいな感じですね」
 三条清乃はコピーライターらしい見解を述べるのだった。
 水沼の会社は広告の制作会社だ。コピーライターを長いことやってきて、それからディレクターになった。五年前にいきなり社長に据えられた。社員二十人の小さな会社なので、社長の仕事とディレクターを掛け持ちしている。
 ひと月ほど前、大手の広告代理店から、スター食品の新製品炭酸飲料水のCM作りを依頼された。水沼はディレクターとして参加している。スター食品の担当者や広告代理店の担当者らと打ち合わせを重ねるうちに、初恋をテーマにCMを展開しようということになった。だからスター食品のCM制作にかかわっている者たちを、社内では『初恋』チームと呼んでいる。水沼は『初恋』チームのディレクターで、三条清乃はそのチームのコピーライターなのだ。
「どんなもんだ、か。ちょっとニュアンスが違うけど、まあ標準語に直したらそうだろうなあ。で、スター食品のコピー、どうなってるんだ?」
「ええ。いろいろ案は出ています。明日までにはまとめられると思います」
「そうか。四時までに何とかまとめてくれ。それからみんなで会議といこう」
「分かりました」
 三条清乃は戻りかけて、また水沼に向き直った。
「あの、社長、少し疲れていませんか?」
「俺が? 大丈夫だよ。何で?」
「だって、最近やたらにため息をついてますよ。夏休みもまだ取っていないし、疲れているのかなあって思ったんです」

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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