よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第一回

川上健一Kenichi Kawakami

「俺、そんなにため息ついてるか?」
「はい。ため息まき散らしてるって感じです」
「そうか。まき散らしているのか。いやはやだな。分かった。気をつけるよ」
 三条清乃が部屋を出て行き、水沼はまた窓の方にイスを回す。マグカップを手にして一口飲むと、また小さくため息をついた。ため息に気づいて、いった先からこれだと苦笑する。
「何だかなあ」
 苦笑したままつぶやく。しばらくぼんやりと窓の景色を眺め、
「初恋か……」
 水沼はつぶやき、またため息をつく。
 デスクの電話が鳴った。水沼は手を伸ばして受話器を取った。
「はい」
「社長。ワダテヒロさんから電話です」
 と女子社員の声。特徴のあるかすれ声なので誰なのかすぐに分かる。佐伯安里(さえきあんり)。スター食品『初恋』チームのチーフデザイナーだ。
「ワダテヒロ?」
 覚えのない名前だった。
「どこの人っていわなかった?」
「いいえ。失礼ですがどちらのワダ様ですか? って訊いたら、ワダテヒロ、とだけしかいいませんでした」
「大東テレビの和田さんかな。分かった、出るよ」
 水沼は外線のボタンを押す。
「はい。水沼です」
「おーい、並木(なみき)の父(と)っちゃよ、我(わ)ダ。ヘッペやってらどが?」
 受話器から山田正雄(やまだまさお)の朗らかな声が聞こえた。完璧な田舎訛りだ。とたんに水沼は笑い出してしまう。へっぺはセックスのことだ。あっけらかんと言うのでいやらしさはない。山田はいつも挨拶代わりにへっぺしてらどが? という。
「ハハハ、我、やってね。小稲(こいな)の父っちゃ、イガしてらどが?」
 水沼も完璧な訛り言葉で応戦する。我は私。イガは、君、あなた、あんた、英語のyouだ。やってらどが? は、しているかい? ということだ。並木と小稲はお互いの実家がある、十和田市の子供の頃の町名だ。
「我、した。男だおの、当だりめだべ」
 山田の声は元気がいい。
「本当が?」
「十年前な。それから、自分のヌードしか見でね。トホホだじゃ」
「ハハハハ」
 水沼は山田のこのジョークにはいつも笑ってしまう。何回も聞いているのだが、訛り具合としゃべりの間が絶妙で、笑いの壺を刺激されてしまうのだ。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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