よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第二回

川上健一Kenichi Kawakami

「俺、競技会の手伝い要員だったから、陸上競技場であれこれ世話係をしてたんだ。それで彼女がアンカーで、ちょうど俺がアンカーたちが集まる場所の係で、彼女に近づけるから天にも昇る気分で舞い上がっちゃってさ。ガンバレっていおうと決心したんだけど、心臓バクバクしちゃって言葉が出ないんだよ。それでも彼女が目の前にやってきて、視線が合って、それがやさしいすてきな笑顔でさ、それでもう死ぬ思いで勇気を振り絞って、ガンバレよ、っていったんだ。後にも先にも俺から彼女に声をかけた記憶はその一回だけなんだ。そしたら彼女が、うん、ありがとうってうれしそうに笑ってくれたんだよ。もう頭の中が一万度もあるんじゃないかっていうぐらい熱くなって、俺は本当に破裂するんじゃないかって思ったよなあ。いまでもその時の事を思い出すと逆上(のぼ)せ上がってしまうんだよ。それから彼女が俺に声をかけてくれたので、忘れられないのも一回だけなんだ。俺が中学二年生の時に、市の野球大会で三中と対戦した翌日のことだよ。三中に完封負けくらったんだけど、相手のピッチャーはおじさんみたいなでかいやつで、腕なんか毛だらけだったんだ。ものすごく球が速くて、向かってくる球がバスケットボールぐらいのでかさに見えておっかなくてさ。どうせ打てっこないと思って振り回したら、これがどうしたことかヒット二本も打ったんだ。といっても当たり損ないのどん詰まりのポテンヒットとボテボテの内野安打なんだけどな。それでも三安打完封負けのうちの二本だから、まあ俺としては悪くないと思って気分はよかったんだ。エラーもしなかったしさ。次の日は遠足の日で、奥入瀬(おいらせ)川の上流の方までいったんだけど、覚えているよな、山田?」
 と水沼は山田を向く。山田は水沼に背を向けて小澤と話に夢中だった。
「という訳でさ、今度のTHBゴルフ部へっぺし騎士団選手権は箱根方面でいいと思うんだ」
 と山田がいい、
「軽井沢にしようよ。この前から仕事でずっと芦ノ湖にいってるから、箱根方面だと仕事にいくって気分になっちゃうよ」
 と小澤が答える。
「おい、イガど、このバカコ! 我が一生懸命話してるだすけ、ちゃんっと聞げ、この投げオンジどあ(跡取り息子ではない者たち)。一人でくっちゃべって(しゃべりまくって)、イガど知らんプリしてたら、知らないやつらは俺をアホだと思うじゃないかよ!」
 と水沼は憤慨する。いい大人になったというのに、同級生に会うと四十年以上も昔の高校生の口調になってしまう。憤慨しながらも水沼はそのことがおかしくて苦笑する。
「大丈夫だ、心配すんな。誰が見ても立派なアホに見える。イガど違ってオラどあ(ぼくたちは)頭いいすけ、違うことしゃべっていてもちゃんとイガの話は聞いてる。十人の話っこいっぺんに聞いても、ちゃんと誰が何しゃべってるが分かる。オラどあ、お釈迦様の末裔(まつえい)がもな。拝みたくなるおんた悟りをひらいた品性のある面っこだべ? うんうん、奥入瀬川に遠足な。覚えてる。それから?」
 山田は鷹揚に構えていう。
 小澤が笑いだし、
「何がお釈迦様だよ。山田はどう見てもおシャカになった顔だっていうの」
 と茶化す。
「いいすけ、黙って我の話聞け」
 と水沼は続きを話し始める。夏沢みどりのことを語るには、どうしても数少ないエピソードを話さなくては気が済まない。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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