よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第二回

川上健一Kenichi Kawakami

「ま、いがったでばよ(よかったじゃないか)。お前の殺風景な人生に、ポッと一輪、野の花のように咲いた可憐な思い出を作ることができて」
 と山田がいうと、
「彼女との思い出話はそれだけ?」
 と小澤がいう。
「はっきり覚えているのはな」
「たったそれだけのことしか覚えていない彼女なのに、寝ても覚めても彼女のことを考えてるの?」
「小澤、こりゃ(こいつは)態ばり(身体つきだけ)でかくて心臓あ蚤(のみ)なのせ。今でも女の電話番号聞げねで、郵便番号教えて? ってしかへれね(いえない)ジグナシ(根性なしの度胸なし)だ。へだすけ(だから)、たったほれだけの(それだけ)思い出しかねくても幸せなのよ」
「だけどさ、寝ても覚めても考えてるって彼女なら、手をつないでデートしたとか、キスしたとかさ、そのぐらいの胸がときめく初恋なら分かるけど、なんにもなかったんでしょう? そんなんで、四十年も五十年も経った今、寝ても覚めても彼女のことを思い出すか?」
 小澤は懐疑的な顔でいう。
「それがな、片思いの初恋っていうのは強烈だよな。初めて手をつないだ女とか、初めてキスした女とか、初めてへっぺ(セックス)した女とかの印象は薄いんだけども、何もなかったただ片思いの初恋は、いつまで経ってもはっきりと覚えているんだよ」
 と水沼はいい、仕事で初恋をテーマに広告を制作することになり、そのことが引き金となって寝ても覚めても夏沢みどりのことを考えるようになったと二人にいう。
「同級生で何人か死んでしまったやつがいるよな。それに、病気で入院したり手術したり、ガンになったやつもいる。俺たちもいつどうなるか分からない歳になったってことだよ。そしたらさ、そうか、あんなに好きだった夏沢みどりとは、もう再会することもなく死ぬんだなあ、一生会えないんだよなあと思ったら、何だかせつなくなってきて、無性にむなしいんだよ。どうしているんだろうなあってばかり思ってしまうんだ。もう初恋の人と再会することはできないと分かってはいるんだけど、そのことを考えるとやたらにむなしくなってため息が出るんだ。家でも会社でも所かまわずだ。何だか一生ため息が出続けるような気がする。まいったよ」
 水沼はさみしい苦笑を浮かべる。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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