連載
初恋父(と)っちゃ
第四回 川上健一 Kenichi Kawakami
 飛行機は徐々に高度を下げつつあった。
 シートベルト着用のサインが点灯している。
 朝一番の羽田発函館行きの機内は満席で、窓際の席に座っている水沼は窓外を眺めながら大きく息を吸い込む。それからフウッと大きく吐き出した。
 眼下の雲がすぐ目の前に迫り、ほどなくして窓が真っ白になると機体が小刻みに揺れた。
 水沼はぼんやりと窓を見続ける。夏沢みどりと最後に挨拶を交わしたのは、窓を覆う雲のような真っ白な霧に包まれた春の朝だった。高校二年生になったばかりで、制服の夏沢みどりは国道を小稲(こいな)の方からさっそうとやってきた。カバンを手に、背筋と膝を真っ直ぐに伸ばして軽やかな足どりだ。
 歩き方で遠くからでも夏沢みどりだとすぐに分かった。他の同級生の女子たちの歩き方は膝が真っ直ぐに伸びきらない。夏沢みどりは札幌から転校してきた。札幌や東京といった都会では歩き方まで田舎とはちがうのだろうと男子の間で話題になった。
 バス停には同じ高校の後輩や通勤客がいた。水沼はやってくる夏沢みどりをじっと見ていたかったが、バツが悪くなってあらぬ方向に顔をそむけた。上気して心臓がドキドキした。いつもは自転車通学の水沼なのだが、雪解けで道が泥だらけの日はバスと電車を乗り継いで通学をしていた。雪解け道を自転車で通学すると、ズボンが泥だらけになってしまうからだ。バス通学の密かな楽しみは、街の中心部にある高校に歩いて通学する夏沢みどりにたまに会えることだった。
 霧の中から現れた夏沢みどりは、バス停までやってくるといつものように笑顔を向け、
「おはよう」
 と挨拶した。
「おはよう」
 水沼が挨拶を返すと、夏沢みどりは少し照れたような笑みを浮かべて通りすぎた。風が通りすぎるような軽やかな足どりだった。スッと背筋が真っ直ぐに伸びた夏沢みどりの後ろ姿が、真っ白な霧の中に消えていった。
 それから程なくして夏沢みどりは北海道に転校してしまったのだ。
 水沼の脳裏に、あの時の最後に見た夏沢みどりの笑顔が焼きついている。彼女のことをあれこれ思い出すと、決まって最後にはあの時の笑顔と後ろ姿が思い浮かぶ。
 夏沢みどりが函館から同級生の女子に送ってきた手紙の住所は、その女子から電話で聞いて紙に書き留めてサイフの中に入れてある。いまでもそこに住んでいる可能性はないだろう。札幌からやってきたのだから、札幌に戻ってしまったかもしれない。だとしたらもう探し出すことはできないだろう。それでも、もしかしたら、という思いは消えない。函館から動かなかったかもしれないし、どこかに転居して、また戻って来ているかもしれない。案外、高校の時に引っ越した近くにまだいるかもしれない。それともサイフの中の住所の近所の人が転居先を知っていて、気軽に教えてくれるかもしれない。
 会いに行ったら喜んでくれるだろうか。それとも突然の訪問は迷惑なのだろうか。函館にいるのだろうか──。
 水沼は雲に目をやったまま吐息を漏らす。


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〈プロフィール〉
川上健一(かわかみ・けんいち)
1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。
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