よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第六回

川上健一Kenichi Kawakami

「学校の近くの畑のひとつは、実は俺のいとこの畑だったんだよ」
「何? 早くいえよ。それならそこで盗むなんてしなかったのに」
「それがさ、あのおじさんすぐ怒鳴るから俺は嫌いだったんだよ。だから盗んで困らせようと思ってさ、それでいとこだっていうのは黙っていたんだよ。ところがさ、この前そのおじさんが死んで葬式に行ってきたんだけど、おばさんがこういうんだよ。盗んでいるのは一夫が通ってる中学の生徒だから学校に連絡しようっておばさんがおじさんにいったら、あいつらは腹をすかせてるんだから食べさせてやれ、その分余計に作ればいいんだから、って毎年余分に作付けしてたんだってさ」
「嘘だろう?」と水沼は声を上げる。「だって『こら!』って怒鳴られて、リンゴとかスイカとかいっぱい抱えて逃げまくったじゃないか。ボロボロ落としながら。食わせてやれっていってたなんて信じられないぞ」
「それがそうだったんだって。あの意地悪なおじさんがそんなことしてたなんて俺も信じられなかったけどさ。怒鳴ったのは、盗むのは悪いことだと教えるためだったんだって。おばさんがいうには、おじさんは怒鳴ったけど一度も追いかけはしなかったんだってさ」
「そういえば、怒鳴られたけど追いかけられはしなかったよなあ」
 と水沼はうなずく。
「良ぐねごどだったども、スリルと食い物の魅惑で何だかドキドキ、ワクワクしたよなあ」
 山田は懐かしそうに笑う。
「俺たちは悪いことだと分かっていてもすきっ腹には勝てなくてリンゴを盗んだけど、山田の談合もそうなんだろう? たまたまお前が貧乏籤(くじ)をひいただけなんだろう?」
 小澤は同情するように軽い笑いを見せて山田に顔を向ける。
 山田は暗くなりかけの空を仰ぎ、吐息をひとつ。それからしゃべり出す。
「俺たちの業界は発注元の予算が少なくなってきてみんな青息吐息だ。誰かが悪者になって、みんなを少しでも助けなければならないんだよ。談合は悪いことだと分かっていてもな。それがたまたま俺に役目が回ってきたということだ。誰かがやらなければこの業界はうまく回らないんだよ。んだども、ぼろ儲けしようっていうんで談合してるんじゃない。適正価格で仕事をしようということだ。入札やると仕事がほしいやつは儲けを度外視して安い値段をつけようとする。そうするといろいろときしみが出てガタガタになってしまう。一番しわ寄せを食うのは末端の業者でそこで働く人とか出入りの個人職人たちだ。日本の繁栄はその人たちの働きで持っているのに、その人たちが割りを食って苦労することになる。そういうのに目をつぶっているのは談合よりももっと犯罪だ。公正取引委員会に追っかけられている俺が偉そうなことはいえないけどな。まあそれは俺の問題だからいいけど」
 といい表情を一変させて口を大きく曲げてニッと笑って水沼と小澤を見る。
 水沼は身構えて押し黙る。このニッといういたずらっぽい天真爛漫な笑いは要注意だ。ガキの頃から何かを企んでいる時の笑いだ。決まって突拍子もないことをいい出して度肝を抜かされてきた。小澤もそのことを知っているのでうさん臭そうな表情を浮かべて水沼を見やる。その目がたっぷりと警戒の色を帯びている。
「決めたどお。あのな、東京行きは中止だ。出頭しないことにした。だからこのまま初恋ジグナシツアーを続けるぞ」
「何? 出頭しない? 逃げるってことか?」
 水沼は驚いて目を剥く。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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