よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第七回

川上健一Kenichi Kawakami

「よし。出発だ」
 水沼が立ち上がると山田と小澤が弾かれたようにすっくと立ち上がる。三人はきびきびと歩き出した。


 窓を閉め切った車内はシャンプーと整髪料の匂いがしている。静かだ。滑らかなエンジンの音だけが車内に響く。ゴルフ場でラウンド終了後に風呂を浴び、短髪の水沼と小澤はドライヤーと手でバサバサと髪をブローしただけだったが、山田はこれでもかというように整髪料をたっぷり振りかけ、ヘアーブラシとドライヤーで念入りに形を整えた。まず分厚い髪を垂直に立ち上げ、それから天辺と横を後方にきっちりなでつけた。今でも角張っていて形が崩れていない。まるでカツラをつけているようだ。水沼は慎重にハンドルを操ってライトに浮かぶ夜道を運転している。洞爺湖に向かうなだらかな上り坂で、道の両脇に葉の落ちた木々が続き、所々の枝先に色あせた葉っぱがしがみついている。
 山田と小澤がそれぞれ助手席と後ろの座席で死んだように眠りこけている。山田はガクンと前のめりに頭を垂れ、小澤は反り返って口をあんぐりと開けている。二人とも黒いジャケットを着ているから、ギャング映画でお目にかかる車ごと無残に蜂の巣にされたシーンを見ているみたいだ。心地好い揺れと、出掛けに函館で買った、ラッキーピエロのご当地ハンバーガーを車中で腹に収めて満腹になったのが眠気を誘い、ゴルフの疲れがどっと出て気絶状態だ。シートベルトがなければちょっとした衝撃でも倒れそうな格好だが、それにしてももう何時間も同じ姿勢で微動だにしない。
 二人が泥のように眠っているおかげで車内は静かだ。函館を出発した時は互いの主張がぶつかり合って賑やかだった。
 警察が探しているとなれば用心するに越したことはないからパトカーがうろうろしている高速道路に乗るのはやめて幹線道路を行こうと小澤が主張し、いや幹線道路はあちこちに交番があって却(かえ)ってパトカーがワンサカいるから高速道路の方が安心だと山田が首を振り、そうはいっても確かに高速道路にはパトカーが幹線道路よりはいないだろうけど監視カメラがそれこそワンサカあってすぐに発見されてしまう、高速道路や幹線道路よりは山道の方が警察の目をすり抜けやすいだろうと運転している水沼がいい、だからお前らは素人だ、ホンジナシだ、幹線道路とか山道で捕まったらコソコソ逃げていると思われる、高速道路の方が捕まったときに何も知らずにのほほんとドライブしていると官憲に印象づけられるから高速がいいんだよと山田が譲らずになじる。お前らは何いってるんだよ、目的は水沼を夏沢みどりに会わせることで捕まることではないだろう、それに山道はだめだ、峠で道が凍っていて危険かもしれないし人食い熊に遭遇して殺されるかもしれないと小澤が引き下がらず、今日はあったかいから峠は凍っていないし熊は走っている車なんか襲わないから大丈夫だと水沼は首を振り、へだすけ(だから)高速道路の方が安全なんだよ、いや普通の一般道路だ、いや山道だ、違う違うこのホンジナシ、ホンジナシはお前だとやりあった末に小澤が、
「ホンジナシ、ホンジナシって当たり前のようにいうけど、だいたいお前らはホンジナシのそもそもの語源を知ってるのかよ」
 といい出した。水沼と山田がそんなのは十和田語の言語だから語源などないと鼻で笑うと、だからお前らはホンジナシなんだよと小澤が張り切って独演会を始めた。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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