よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第八回

川上健一Kenichi Kawakami

「水沼ッ、このバガッコ! ホニホニホニ! イガどこのッ、いいすけワのへることば黙って聞けってば! 夏沢みどりだばな」
「だから俺たち三人で逃避行して夏沢みどりに会おうって決めたじゃない! 水沼の夢を叶えてあげようよ。ほら信号変わった。水沼ッ、ぶっ飛ばせよ!」
「分かった分かった。逃げるぞ。シートベルト締めろよ」
 水沼は前のトラックに続いて車を発進させる。
「そうこなくちゃッ」
 小澤は張り切ってシートベルトを装着する。ポケットからスマートフォンを取り出し、動画モードにしたからねッ、かっこいいムービー撮ってやるからねッ、と喜々として声を上げる。いつもの分別臭い顔つきがすっかり影をひそめている。
 水沼はトラックにくっついて真っ直ぐ交差点を突っ切る。アクセルは軽く踏んだままだ。反対車線に入れ! 飛ばせってば! と喚く小澤を無視して道の左側に車を停める。
「だからな小澤。俺の運転では逃げてもすぐに捕まっちゃうんだよ。俺ができることは一瞬だけどその気にさせてやることだけだよ。ワクワクドキドキしただろう?」
「何だよまったくもう! 『ブリット』を実際に体験できると思って興奮したのにッ」
「小澤小澤、どうどうどう。いいからイガど、黙ってワのへること聞けてばッ」山田は内ポケットをまさぐり、「いいか、俺が捕まってもお前たちは必ずみどりちゃんば」
 コンコン。やってきた警官が助手席の窓ガラスをノックした。制服の若い警官だ。山田は口を閉じ、溜め息をついて窓ガラスを下げる。観念した顔つきだ。
「おはようございます」
 警察官はニコニコ笑って三人を見回した。若者らしい屈託のない明るい笑顔だ。
 水沼と山田は硬い声でおはようございますと応じる。小澤は仏頂面を崩そうとせずに腕組みをしたままムスッとしている。
「何か?」
 水沼は作り笑いをして尋ねる。すっとぼけ作戦実行中だ。談合事件で山田が行方を追われているのは知らないことにしなければならない。
「旦那さん方でサイフを落した方はいませんか?」
「え?」
「サイフ?」
 まるで予想だにしなかった言葉が返ってきたので、山田と水沼はポカンとしてしまう。
「あれえーッ」
 すぐに後部座席の小澤が素っ頓狂な声を上げ、ジャケットの胸の内ポケット、外の両ポケットをまさぐる。それから、
「俺だ。はい、私です。そうか、コンビニで買い物して、それから車に戻った時に内ポケットに入れて、そこに入っていた携帯をズボンのポケットに移そうとしてサイフと一緒に出して、それで車の屋根に置いて……、そのままだった……」
 と口を開けて呆然とする。
「そうでしたか。コンビニからこの車が出る時に屋根から落ちたのが見えました。すぐに左折したので追いかけました。間に合ってよかったですよ」
 若い警察官は黒いサイフをかざしていう。
「だけどコンビニ出て横町に入ってから、またすぐ路地を左折したのがよく分かりましたね」
 と水沼はいう。
「コンビニから左折した道はずっと真っ直ぐな道で、車がいなかったのできっとまたすぐの路地を左折してこの道に出たと推理したんですよ。一応、確認のために、何か旦那さんのサイフだと証明するようなものが中に入っていないでしょうか。運転免許証か何かでいいんですけど」
 若い警察官は後部座席の小澤に笑顔を向けた。
「はいはい。運転免許証が入ってます。開けて見てください。名前はオザワカズオ」
 小澤は盛大な追従笑いを警察官に向けると、生年月日、住所と続ける。
「前の二人が昔から超せっかちで、さっきも出発するぞって急かすものだから、慌ててしまってサイフを屋根に置いたのを忘れてしまったんです。だから私は悪くないんです。悪いのは前の二人なんです。この二人を留置場にぶち込んでたっぷり説教して反省させてください」
 警察官が苦笑して小澤にサイフを渡し、水沼と山田がガクンとずっこけた。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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