連載
初恋父(と)っちゃ
第九回 川上健一 Kenichi Kawakami

「申し訳ありません。ビルが建った当時の社員はもう全員退職していますので……、あ、そうでした、総務に一人、嘱託(しょくたく)社員で社内史編纂(へんさん)に携わっている者がおりますが、本日出社しているかどうか聞いてみます」
「ありがとうございます」
 受付嬢は水沼の言葉に笑顔でうなずきながら受話器を取り上げてボタンを押す。
「受付ですが佐藤さんはいらっしゃいますか?」
 透き通ったきれいな声だ。それから少し待って受話器の向こうに来訪者のことを説明してから、はい、お願いしますといって受話器を置く。
「出社しておりました。よかったです。今こちらに下りてきますので、あちらにお掛けになってお待ちください」
 受付嬢は窓際にあるソファーを手で指し示す。
 水沼と山田と小澤は礼をいい、ガラス張りの窓際のソファーに座る。
「えらい親切な受付だな。仕事に関係ない話だから冷たくあしらわれても仕方がないのにな」
 と水沼は感心していう。
「彼女は昔ながらの道産子だな。もともと道産子は親切なんだよ」
 山田は確信したようなものいいをする。
「道産子だってどうして分かるんだよ?」
 と小澤。
「昔っから道産子は人を親切にもてなすのが好きなんだよ。寄ってけ、食ってけ、泊まってけ。これが道産子の気質だ。心根があったかいんだ。心根があったかくなければ猛烈に寒い冬を乗り切ることができなかったんだろうなあ。いろんな事情で北海道に渡ってきて、厳しい気候での生活で苦労が身に沁(し)みているから、自然に他人に対してやさしくなれたんじゃないかな。それに昔は人口密度が低かったから、人恋しかったのもあるんだろう。だから、寄ってけ、食ってけ、泊まってけ、になったんだろう。あのコは道産子のDNAをしっかり受け継いでいるからえらく親切でないかい、という訳だ」
 やあ、すみません、お待たせしましたと、やけに明るい声を発しながらうれしそうに笑って男がやってくる。船が難破して無人島に独り寂しく生き延びてきた男が何十年かぶりに人間に出会えたかのように喜々としている。白髪で黒縁の大きな眼鏡をかけた小さな男だ。顔には深い笑い皺(じわ)が描かれている。いつも笑顔なのだろう。ファイルブックを抱えている。仕事中にご迷惑をおかけしますと水沼が恐縮すると、とんでもない、いつも一人ですから大歓迎です、社員以外の方とこうして会社で会うのは何年ぶりかですよと満面の笑みをたたえる。男は佐藤と名乗ってからテーブルの上にファイルブックを開く。三階建ての古い小さなビルがポツンと建っている。周囲は駐車場と空き地だ。
「今のこのビルは五年前に建て替えた新しいビルでして、旧社屋は三十年ほど前に建てられました。旧社屋が建てられた当時の写真がこれです。土地は不動産会社が所有していたものでした。バブルの頃で結構いい値段でしたが、何、その頃は私どもの会社も結構儲かっていましたので広い土地を買ってしまったのです。今考えれば広い土地を買っておいて正解でしたね。先代の社長に先見の明があったということでしょう」



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〈プロフィール〉
川上健一(かわかみ・けんいち)
1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。
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