よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第十一回

川上健一Kenichi Kawakami

「小澤、このバガッコ。イガ(お前)なあ、そったらどごさ逃げ込んだって、ダンプにぶっ潰されだらどうせペッチャンコになるべせ。ホジねえ(馬鹿げた)もんだ。ホニホニホニ(まったくもう)……」
 落ち着きを取り戻した山田はのんびと十和田弁でいう。危険は去ったのだ。
「逃げ込んだんにゃないよ! 急ブレーキかけるから転がり落ちて挟まってしまったんだよ! 動けない、助け起こしてくれ」
 しょうがないやつだなと山田がいい、山田と水沼が手を伸ばして引っ張りだそうとしたが、小澤の身体は無理やり隙間に押し込められたようになっていてびくともしない。
「早く引き出してくれ! 逃げなきゃまずい! 今気がついたけど、あいつトイレに行って掃除道具を入れてあるロッカーに隠してあった散弾銃を持ってきて俺たちを皆殺しにする気だ! ギャング映画でよくある筋書きだぞ! 『ゴッドファーザー』では便器の上の水槽の中にピストルを隠していたと思ったけど、とにかく早く逃げよう!」
 小澤は喚(わめ)き続ける。
「へだらイガ、そのまんまでずうっと我慢するか?」
 と山田がいい、
「うん。お前がそのままでよければさっさと逃げるぞ」
 小澤の妄想にすっかりのせられた自分がバカバカしくて水沼は苦笑しながらいう。『激突!』さながらにダンプカーに追いかけられて命を狙われていると思ったのはとんだ勘違いのようだった。よくよく考えればピストルだの散弾銃だのと現実離れしすぎている。車内にはびこっていた追い詰められた空気はすっかり霧散して平和が訪れた。
「いや、ちょ、ちょっと、く、苦しい。やっぱり助けてくれ。息が、できなく、なってきた」
 小澤は力の無い声を出した。変な体勢のまま狭い隙間に押し込められているのでかなり苦しそうだ。
 水沼と山田は外に出て後ろのドアを両側から開けて小澤を引っ張りだしにかかった。腕を引っ張ったり足を引っ張ったりして何とか小澤を助け出した。やっとの思いで車の外へ出た小澤はふらついてよろけた。苦しそうに歪(ゆが)めた顔にどこか安堵(あんど)の色が浮かんで微笑した。その顔に大粒の脂汗が吹き出している。額と顎、それに鼻の横に血が滲(にじ)んで汗を赤く染めていた。左右のドアやコンソールボックスのどこかに激しく叩きつけられた時にできた傷のようだった。
「大丈夫か? 顔のあちこちから血が出てるぞ」
 と水沼はいった。小澤が大きく深呼吸をしてから口を開けようとした時、
「いやあ、びっくりしたべさ。申し訳ねえ」
 いきなり野太い声が三人の頭上から降ってきた。三人はギョッとして振り向く。大きな男が出現して突っ立っていた。いきなりのことで三人は面食らって後ずさりする。
「もうクソケツがパンク寸前で漏れそうだったんだわ」
 男はバツが悪そうにニッと笑った。
「あんなに飛ばしていたのは、トイレに行きたかったからなの?」
 と水沼はいった。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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