よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第十一回

川上健一Kenichi Kawakami

 男は微苦笑したままそうなんだよといった。肉付きのいい丸まった身体。鉢巻きを巻いた短髪でよく日に焼けた真っ黒い顔に大きな目がパッチリ見開かれている。人好きのする柔和な笑顔で目尻と頬に深い笑い皺(じわ)が穿(うが)たれていた。厚手の徳利のセーターにピッタリフィットしすぎている鼠色のジャンパー。短足に見えるだぶだぶのズボン。水沼には五十歳前後に思えた。ワイルドな風貌ながら人のよさそうな男でどう見ても冷酷な殺人者には思えなかった。男は太い両腕で赤いリンゴの山を抱えている。しゃべり始めて口を開けたら真っ白い歯が輝いて整然と並んでいた。
「いやそれがさ、情け無い話なんだけど今朝から腹の按配(あんばい)良くなくてさ、ピーピーが止まんないんだわ。昨夜食った何かが悪かったんだべねー。おっかない思いさせてしまってホントに申し訳ないねえ。したっけ運転席でズボンの中さぶちまけて漏らす訳にもいかないんだわ。そうなったら臭くてたまんないべさ。運転どころじゃなくなっちゃうもんねえ、そしたら仕事あがったりだもの、フンとにさ。ハハハ。んだから焦った焦った。煽り運転みたいになって悪いと思ったんだけど仕方なかったんだわ。いやあゴメンゴメン。これお詫(わ)びといっちゃ何だけどさ、増毛(ましけ)の友達から送ってきた大した美味いリンゴなんだわ。俺の弁当兼おやつ。いっぱい積んであるんだよ。うんと美味いから食ってみて」
 男は話好きらしく澱(よど)みなくしゃべる。しゃべり終えるとずいと前進して、分厚い胸に抱えたリンゴを身体ごと三人に押し出した。
 水沼と山田はホッと吐息をついたように表情を弛ませた。互いを見やって苦笑した。小澤はまだうさん臭そうな目付きで男を見ている。
「そうかあ、それは大変だったねえ。んで、間に合ったの?」
 と山田が笑顔で応じる。
「間一髪滑り込みセーフだったわ。あんたたちが飛ばしてくれたおかげなんだわ。いやあ助かった助かった」
「こっちはてっきりいかれた狂った煽り運転のバカヤロウかと思って、それがでかいダンプカーなもんだからおっかなくて慌てた慌てた。まあ、ピーピーなら仕方なかったよねえ。でも漏らさないでいかったいかった」
「ゴメンゴメン。申し訳ない」
「増毛でリンゴ採れるんですか? あんな北の所で?」
 と水沼は男が抱えたリンゴを見ていう。
「お? あんたたち内地の人? だよね。増毛でリンゴ採れるの知らないものな。増毛は北の方さあるけどさ、北海道では有名なリンゴだのブドウだのが採れる果樹の町なんだわ。あれ? あんたケガしたかい? 俺のせいかい? 大丈夫かい?」
 男は小澤を見てすまなそうにいう。
「え、いや、うん、大丈夫。飛ばしたり急ブレーキかけたりされたから、ちょっとあちこちにぶつかっただけだから」
 小澤は強張(こわば)った笑いを作った。
「そうかい。いやあ、俺のせいで痛い思いをさせてしまったねえ。ホントに悪かった。ゴメンゴメン。あッ、まずい! きた! またきたわ!」
 男はそういうなり顔色を変えてだぶだぶズボンの太い短足を突っ張るように爪先立ち、大樽(おおだる)のような大きな尻をすぼめる仕草をしてからドアを開け放してある黄色い車の後部座席に一抱えのリンゴを放り出した。もどかしそうに、じゃあね、悪かったね、と早口にいいながら踵(きびす)を返し、大きな太い手を尻に当て、それから尻を吊り上げるように爪先立ちをしたまま小走りにトイレへと駆けて行った。
 大きなつむじ風が去ったように、辺りは静寂に包まれた。
「お前、本当に大丈夫か?」
 と水沼は小澤の顔を覗(のぞ)き込む。数箇所、血が滲んではいるものの、しかめっ面で水沼を見返す目はしっかりしていて、意識が混濁しているようなボーっとした様子はなく別段何ともないようだった。
「大丈夫だよ。だけど肩だの腕だの顔だのあちこち痛い。映画の『激突!』じゃなくて俺が激突になっちゃった。まあ面白かったからいいけどさ」
 小澤はフフフと鼻で笑った。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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