よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第十二回

川上健一Kenichi Kawakami

「無しだ。世帯数はゼロ。一軒も無し。夏沢みどりの親は十和田から函館に転勤になったし、それからまた札幌に転勤になったからその当時はあったんだろうけど、いつの頃からか分からんけど、いなくなったということだろうな」
「一軒も無し? ということはやっぱり夏沢みどりの両親とか兄弟はもう北海道にいないということになるよね」
 と小澤はいった。
「んだな」と山田がうなずく。また十和田語に戻った。「両親が死んでしまったとが、北海道がらどっちゃがさ引っ越ししたとが、みどりちゃんに兄弟がいだとしてもやっぱし北海道がらどっちゃがさ行ってしまったってごどだべな。夏沢ってへる苗字は珍しいがら、北海道では夏沢姓はたぶんみどりちゃんの家だけだったべな。それで一軒もねぐなったってごどだべせ。みどりちゃんは北海道さいだどしても、結婚して姓が変わったのせ。んだすけ(だから)夏沢姓はゼロになったんだよ」
「ん? 夏沢みどりは結婚して苗字が変わったって、知ってそうな口振りじゃない? 何て苗字になったんだ?」
 と小澤が前かがみになって目を細めた。
「このバガッコ。おらだっきゃ知らね。知る訳ねえ。当だりめだべせ。嫁にいったら苗字が変わってるべってだけだよ」
 山田は両手を頭の後ろに当て、身体を伸ばしてあくびをした。顎の周りに深い皺(しわ)が作り出された。
「何だか怪しいなあ。お前ねえ、何か隠し事してない? 何かそんな気がするんだよね。余裕かましてるって感じだもの。本当はみどりちゃんの居場所をとっくの昔に知ってるってんじゃないか? 会社の弁護士に探してもらったとか?」
「ハンカクセ(バカらしい)。分がってればとっくにへってる(しゃべってる)。弁護士使って探すなって水沼に釘刺されたがらな。何も頼まねがったよ」
 山田はきっぱりはねのけて否定した。
「だってさ、札幌でパトカーに止められた時、俺たちに、お前たちはみどりちゃんを探す旅を続けろっていって、内ポケットから何かを出そうとしたじゃない。みどりちゃんの住所と電話番号を書いたメモだったんじゃないの?」
「イガけっこう鋭いな。バガッコだど思ってらども(いたけど)侮れねな。あのな、メモ用紙でね。銭っこ(お金)だ。旅の足しにしてけろって万札ば渡そうとしたんだよ。餞別(せんべつ)。ワだっきゃ(俺は)イガど(お前ら)と違って気配りの人だすけな。どんだど(どうだ)この高潔な品性、やさし過ぎる天使おんた(のような)人格。ふんとに(本当に)ワ(俺)はいい人だなあ。自分のことながら余りに立派すぎて感動して泣けてくる」
「天使? そんな極悪人面した天使がいるかよ。ずうずうしい。何が高潔な品性だ。巨悪談合の首謀者がいうセリフかよ。そういうのを呆(あき)れてものがいえないっていうんだよ」
 呆れ返る小澤の半開きの口は、顔にできた小さな亀裂のように歪んでいる。太陽が雲に隠れて車内が暗くなった。ボンネットの黄色が濡れているようにしっとりと落ち着いた。
「初恋探しは終わりにしよう」
 と水沼はいう。サバサバした表情だ。助手席の山田を見て、後ろの座席の小澤を振り向く。それから前方に視線を戻した。
「夏沢という苗字の世帯が北海道に一軒も無いとなると、手がかりは無いってことだ。途中で諦めるのは残念だけど、忘れていた初恋を思い出して死ぬまでにもう一度みどりちゃんに会いたいと熱を上げただけでもいいよ。おかげで寝ぼけていた細胞が活性化された。北海道に連れ出してくれたお前たちのおかげで人生にやる気が甦(よみがえ)って、ここのところ何年も何だか黄昏(たそがれ)て霧に包まれていた気分だったけど、スカッと晴れて元気が出た。それだけで十分だ。だから初恋探しは止めるとしても、せっかくの三人の夏休みだ、山田が捕まるまで俺たちのクレージーキャッツC調大作戦を賑やかに続けよう」

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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