よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第十三回

川上健一Kenichi Kawakami

 水沼がうなずいたその時、ぼんやりと明るい灰色のアスファルトの道に人影が現れた。小走りに近づいてくる。小さな足音がピタピタとさざ波が押し寄せてくるようにうら寂しい路地に反響した。人影は昔のスポーツカーのような滑らかな曲線の腰のシルエットを持っていた。丸い頭、細い首、優雅な曲線の腰つき、スカートからスラリと伸びる長い脚。それらの影が小刻みに揺れながらやってくる。肩に羽織ったカーディガンらしきものの裾が小刻みになびいていた。踊る影が若々しく躍動している。
「お、もしかしてここのママか?」
 と小澤がいう。
「いや、ほんでねおんたなあ(違うみたいだなあ)。背が低い。ママはもっと背が高い」
「若そうだから山田がいってたママとは違うみたいだな。ここの店とは関係無い人なんじゃないか」
 と水沼はいった。
 ところが、女はじっと見つめる三人の前までやってくるとピタリと足を止めた。三人をニッコリ笑って見上げた。やはり若い女だった。
「すみません。お待たせしました。すぐ開けますから」
 息が弾んでいる。引っ詰め髪の小さな顔。えくぼ付きの愛嬌(あいきょう)たっぷりな笑顔が薄暗がりの中でも輝きを放った。
「もしかしたら、電話をくれた人とは別の方たちですよね?」
 ドアにカギを差し込みながら女はいった。少し高音の笑うようなかすれ声。耳をくすぐるような声だ。水沼はその声に誘われてしまって口元が弛(ゆる)んだ。電話はしていない、今ここに来たばかりで、張り紙を見て電話しようと話していたらあなたが現れたんだよと笑顔を向ける。
「よかった。予約の電話があって七時過ぎにお客さんが来るからってママがいってたのに、もうみなさんがいたので私が時間を聞き間違えたのかと焦っちゃいました」
 若い女は安堵(あんど)して笑った。ドアを開け、電気を点けて三人を招き入れた。中に入った水沼と小澤は不思議そうに内部を見回した。すぐに店内と思いきや細長い廊下になっている。天井も壁も赤く塗られている。飾り物は何も無い。
「何だか異次元へと続く秘密の通路みたいだね」
 と小澤がいう。
「この廊下おがしべ?(変だろう?) この左の壁っこが隣の店ど、びったしくっついてるすけ(くっついてるから)、騒音が隣の店の迷惑になんねおに(ならないように)ってママが廊下にしたんだよ。防音用の廊下だんず(なんだって)」
 と山田が説明する。
 若い女が小走りに廊下を進む。突き当たりと手前の右側の壁にドアがあり、突き当たりのドアは『private』とあり、彼女は右側にあるドアにカギを差し込んで開けた。ドアには『マキマキ』のプレートが貼り付けられてある。
「暖房入れますからすぐにあったかくなりますからね」
 店内は広く、廊下と同じで壁も天井も赤く塗られている。奥に小さなステージがあって頭上にミラーボールが取りつけられている。ステージにはドラムセットが鎮座していた。入ってすぐに長いカウンターが伸びていて、フンワリした赤いクッションつきの丸椅子が十数脚、カウンターにくっついて整然と並んでいる。詰めれば六、七人が座れそうなソファーのボックスが五つ、広い店内にゆったりと配置されている。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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