よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第十三回

川上健一Kenichi Kawakami

「ドラムで思い出した。夏沢みどりもドラムが好きだったんだよ。ドラマーになりたいって夢があったみたいだな」
 と水沼はいった。
「嘘でしょう?」
 と小澤が水沼を向いた。「あの頭がよくて気立てもよくて、しとやかそうなみどりちゃんがドラマー? イメージ湧かないなあ。ドラマーになりたい人がどんな人だっていいんだけどさ」
「俺のお袋が夏沢みどりのお袋さんから、ドラムをやりたいからドラムセットを買ってと娘からせがまれてて、そんな高いものは買えないし借家の古い家だからドラムなんか叩いたら近所迷惑になるからダメだっていってるんだけど、泣いてせがむから困ってる、ってこぼされたって聞いたことがあるんだ。夏沢みどりは小学校の頃、学校の鼓笛隊でスネアドラム叩いてたんだよ。知ってるだろう? スッと背筋を伸ばして叩きながら歩く姿が凛々(りり)しくて、かっこよかったなあ。目に焼きついてるよ」
 水沼は冷えたグラスを手にしたまま、グラスの中に見える遠くの過去を見つめた。
「小学校の頃のみどりちゃんのことなんか知らんよ」と山田はいって鼻で笑う。「お前はみどりちゃんのことなら何でもかっこよく見えるんだよ。あこがれの初恋の人なんだからな」
「あらあ、そのドラムの女の子、お客さんの初恋の人なんですか。私の初恋も幼稚園の時に鼓笛隊で太鼓叩いてる男の子でした。大太鼓でしたけどね。身体(からだ)が大きかったから大太鼓にさせられたんです」
 カウンターの内側から彼女が白いきれいな歯並びを見せて笑った。
「幼稚園で初恋か。おませさんだったんだなあ」
 と山田は笑う。
「幼稚園で初恋って普通ですよ。みんな好きな子がいましたよ」
 と彼女がいい終わると、コンコン、とドアをノックする音が店内のしじまに響いた。彼女はドアを振り向いてキョトンとしてから、どうぞと声をかけた。かすれ声がドアを突き抜けなかったようでドアは開かない。彼女はドアに駈(か)け寄った。ドアを開けてどうぞと客を招き入れた。
「飲み屋のドアばコンコンとふったらぐ(叩く)やづあ(者は)珍しいなあ」
 山田が笑う。
 店内に三人の女が入ってきた。
「まったくもう、いきなりノックするからずっこけるじゃない。トイレじゃないんだからね」ハハハハと陽気な高笑い。体形にピッタリフィットするジーンズに赤いダウンジャケット。頭にグレーのソフトハットを被っている。どんな事でも面白がるようなキラキラと輝く目の女。
「あんたは何でもトイレなんだから。ノックを返されたら回れ右しそうな緊張した顔してたわ」と困ったように泣き笑いをしている女は、手にしているティッシュペーパーを目に当てた。モスグリーンのハーフコートとだっふりとしたパンツ姿、カラフルなニット帽を頭を包むようにすっぽり被った女。
「だって、シンと静かだったからつい」と言い訳しながらのクスクス笑いをする女。少し白いものが交じったショートヘアー。への字目の温和な笑顔。ベージュのコートを粋に着こなしている。
 水沼はすぐにへの字目の笑顔の女に目を奪われた。それから一緒に入ってきた二人の女を見た。まだ記憶に新しい女たち。道東自動車道のキウスパーキングエリアで出会った三人組の女たちだった。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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