よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第十四回

川上健一Kenichi Kawakami

「ナンパしにきたんじゃないってば。ここのママに会って、知り合いに雪印の人がいないかどうか聞いてみるためなんだからな。いたら夏沢みどりのオヤジさんの消息が分かるかどうかを聞いてもらうようお願いをする。それだけだ。くたびれて眠いし、ナンパなんて元気はないよ」
「んだすけな(だからな)、この旅ばたまげだ(すごく)面っ白ぐ(楽しく)するためのナンパ。旅の醍醐味は出会いだべ。せっかくのチャンスだのに、まなぐ(目)つぶって見過ごすバガッコいるってが」
「ちょっと待てよ。お前らね、呑気(のんき)に楽しくディスカッションしてる場合じゃないかも。これは本当に超ヤバイかも」
 小澤はまた彼女たちのボックス席をチラチラ見ながら緊張した声でいう。眠気はどこかへ消し飛んだようだ。「特捜がお前を参考人として探してるってことには陰謀が隠されていて、指名手配なんかにしないで俺たちを抹殺して存在を消し去って行方不明にしてしまおうって計画だよ。この店さ、俺たちの他に誰も客がいないってのが変だよ。マフィア映画の虐殺シーンにそっくりだよ。バーとか床屋で殺人をする時は決まって誰も客がいない。やっぱりこれははめられたのかもしれない。ズドンとやられるまであと五秒」
 と小澤が緊張に顔を強張(こわば)らせ、スツールから腰を浮かせて逃げ出す態勢を整えた。水沼と山田は顔を見合わせた。山田は薄笑いを浮かべて肩をすぼめた。バカバカしいにもほどがある、つき合いきれないと顔に書いてある。水沼と山田は苦笑しながらしげしげと小澤を見つめる。小澤の目は真剣そのものだ。水沼は三人の女がいるボックス席に視線を移した。泣いているニット帽の女を挟んでへの字目笑顔の女とジーンズ女がしきりに慰めている。彼女たちからはどう見ても殺気を感じない。水沼は鷹揚(おうよう)に構えて様子を見守ることにした。どのみち小澤が冗談を飛ばしているのは数秒で分かることなのだから。
 すると、従業員の女がカウンターへと引き返し始めてすぐに、いきなりジーンズ女がすっくと立ち上がった。尻ポケットの方に右手を回した。
「やばいッ、逃げろ! 撃たれるぞ!」
 と小澤がドアに向かってダッシュした。水沼と山田は呆気(あっけ)にとられて固まった。まさかジーンズ女が立ち上がって尻ポケットに手を回すとは思ってもいなかった。ジーンズ女が素早く尻ポケットから何かを抜いて突き出した。
「はい、モッチ」
 とジーンズ女がニット帽の女にティッシュペーパーを差し出した。
「あ、お客さん。トイレはそっちじゃないですよ。反対側の角のドアです」
 従業員の女が店の出入り口ドアの把手(とって)に手を伸ばした小澤の背中に声をかけた。トイレのドアを指し示してえくぼを作った。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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