よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第十四回

川上健一Kenichi Kawakami

「これどうぞ。よかったら使って。遠慮はいらないよ。映画命の僕としたことが、ハンカチを持っている理由をド忘れしていました。大変失礼しました」
「あら、男がハンカチを持っている理由を分かっているのね?」
 ニット帽の女の涙目がキラリと光る。
「もちろん。男がハンカチを持っている理由を知らないのは罪だよ。自分で使うためじゃない。貸すためにある。女性が泣いた時にね」
「イエス! 『マイ・インターン』! ロバート・デ・ニーロ!」
 ニット帽の女は涙に光る目をパッチリ開けてうれしそうに輝かせた。
「ど真ん中のストライク!」
 小澤はきどって親指を立てた。サムズ・アップ。「セリフを記憶してるなんて本当に映画が好きなんですね」
「あなたもど真ん中のストライク。私、懐かしの映画看板を見たくて夕張にやってきたの。あなたもそうでしょう?」
「またまたど真ん中! ストライク・ツー!」
「やっぱり! 映画好きにはたまらない街よね。じゃあ当ててみて。私がこの夕張の街を見て最初に浮かんだ映画は何だと思う? ヒント。ティモシー・ボトムズ、ジェフ・ブリッジス、ベン・ジョンソン、エレン・バースティン、シビル・シェパード」
「なんてこった!」
 と小澤は映画のシーンのように大袈裟(おおげさ)に手を広げた。「僕もこの街を見て本当にその映画のことを思ったんだよ。アメリカ西部の寂しい田舎町。たった一軒だけある映画館の営業最後の日。若者たち。大人たち。男たち。女たち。人生を描いた傑作作品。1971年、ピーター・ボグダノヴィッチ監督『ラスト・ショー』」
「マジで信じらんない! 私と同じように『ラスト・ショー』のことを思った人がいたなんて。ああ、もう、ぶったまげよ! ストライクできりきり舞いの三振だわ! ここに来て座って。思いっきり映画の話をしましょう! 映画の街にいるっていうのに彼女たちはまるで映画のこと分かんないからつまんないの。タマエ、あんたそっちに行きなさいよ」
 ニット帽の女はがぜん張り切りだした。ジーンズ女を押しやって山田を傍らに招き入れた。つまんなくて悪かったわねエ、モッチが泣き上戸だって分かっていながら、いいから飲ませてやろうよっていったあんたが悪いんだからねエ、グジャグジャ泣いた後に決まって手がつけられないほどハイになっちゃうんだからねと、ジーンズ女がへの字目笑顔の女に文句をいって席を立った。水沼と山田は呆気にとられて小澤とニット帽の女の成り行きを見守っている。
「あなたたちイ」とジーンズ女が立ったまま水沼と山田に声をかけた。「お互いボーッとしててもしょうがないから、こっちに来て楽しい話をして笑わせてちょうだいよオ」
「タマエ、無理に誘っちゃ失礼よ」
 とへの字目笑顔の女がいった。
「いえいえ、全然失礼じゃないですよ。喜んで伺います」
 と山田は満面に笑みを浮かべてから水沼を肘で突っ付く。「きたきたきた! イガ(お前)あっちな、ワ(俺)だばタマエちゃんの方」
「何がきたのオ?」
 とジーンズ女がいう。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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