よみもの・連載

ひかる、汗 魔女の抱擁

魔女の抱擁

川西 蘭Ran Kawanishi

 立ち上がり、背後を確認する。紙袋はない。ふと気配に気づいて、振り返ると、黒ずくめの少年が無言で紙袋を突き出していた。
「ありがとう」
 紙袋を受け取ると、少年はなにも言わず、くるりと背を向けた。黒いキャップのうしろから、ひとまとめにした赤茶色の髪が肩の下あたりまで尻尾のように垂れている。
 ありがとう。
 もう一度、言ったけれど、反応はなかった。
 少年は叢の中に立ち、川辺の方に体を向けて、左手に持ったタブレットに右手の指先で触れている。両手には指切りのグローブをつけていた。黒のキャップ、黒いフレームのゴーグル、顔の下半分あごまで覆う大きめのマスクも黒。長袖の機能性トップスの上にだぼっとした半袖のウェアを着て、膝丈のパンツからはロングタイツをはいた脚が伸びている。肌の露出はほとんどない。日焼け対策は完璧だ。足には高機能そうなシューズ。ジョギングシューズよりやや頑丈な作りで靴底が厚く、それなのに軽そうだ。背中には甲羅のようなリュック。なにかに特化されたスタイルに違いないが、なにに特化されているのか、彼女にはわからなかった。
「なにをしているの?」
 少年の脇に立ち、タブレットを覗(のぞ)き込んだ。画面には遊歩道脇の叢とその中で飛び跳ねる青い小鬼のようなものが映っていた。少年の指は画面の下の方を小刻みにタップしている。正確で素早い動きだ。爪はきれいに切り揃(そろ)えられ、透明なマニキュアを施されたかのような光沢がある。
「ゲーム?」
 少年はタブレットを下ろし、彼女の方に顔を向けた。ゴーグルに歪(ゆが)んだ自分の顔が映っている。
「ゲーム」
 オウム返しのように少年は言った。声が少しかすれている。
 小学校高学年くらいだろうか? 中学生にしてはまだ幼さが残っているようだ。身長は彼女とほぼ同じくらい。体重は少年の方が少し重いだろう。体はほっそりとしているが、腕や脚にはしっかりとした筋肉もついている。長距離走者のような体つきだ。娘に子どもがいたら、ちょうどこのくらいの年齢だっただろう。
「見せてくれる?」
 タブレットの画面を彼女の方に向けた。画面には叢と額に一本角が生えた青鬼が映っていた。視線を少しずらす。叢があるだけだ。両手を頭の上で振りながら、がに股でどこどこと地団駄を踏んでいる青鬼はいない。
 ヴァーチャル・リアリティ。言葉が浮かんだ。

プロフィール

川西 蘭(かわにし・らん) 1960年広島県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。79年、大学在学中の19歳のとき『春一番が吹くまで』でデビュー。小説を多数発表したのちに出家。現在は作家と僧侶を兼業している。元東北芸術工科大学教授、現在武蔵野大学教授。著書に『パイレーツによろしく』『夏の少年』『セカンドウィンド』『ひかる汗』など。

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